高天神城の歴史感じる、絶景の旅。
犬戻り猿戻りの特徴
高天神城の落城時、横田甚五郎が脱出した道です。
馬場平からの高天神城の眺望は絶景で感動的です。
高天神社裏手の小路を通れば、遠州灘の絶景が広がります。
他の皆様がおっしゃっている通りかなり険しいですね。
気分を味わうくらいで引き返すのがいいと思います。
漫画レイリに影響されて最後まで踏破しましたが、引き返そうとは思わなかったです。
車が停めてあるところまで2時間くらいかけて戻りました。
馬場平の西端に「犬戻り猿戻り(甚五郎抜け道)」はある。
「犬戻り猿戻り」とは、“犬や猿もおじけづき戻って来てしまう”程の険路であることから名づけられたとのことである。
本当かい!!?と思い、私も踏み入ってみた。
確かに峰の細道であるが、人でも歩けるような気がしたが。
・・・?天正9(1581)年3月、武田方籠城兵は徳川軍に高天神城を包囲され孤立した。
これ以上の勝頼からの援軍は見込めないと、籠城兵は万策尽き討って出た。
城将の岡部丹波守元信(元網、真幸、昌幸、長教、全て同一人物)ら多くの武将は討死したが、軍監横田甚五郎尹松[ただとし/ただまつ]は、この狭隘な尾根道から馬を馳せ脱出し、甲斐の勝頼に報告したとされている。
ここで一つ裏話がある。
討死した城将岡部元信は勝頼に援兵を求める密使を派遣したが、軍監横田尹松は別書でもって後詰を断り、高天神城を捨て兵力を温存すべきと伝えたというのである。
なるほど、であれば一人脱出するか・・・?《2023.2.1訪問》
犬戻り猿戻り所在地 静岡県掛川市下土方訪問日 2022/8/15甚五郎抜け道(別名・犬戻り猿戻り)です。
天正9年三月の落城の時、二十三日早朝、軍監・横田甚五郎は本国の、武田勝頼に落城の模様を報告する為、馬を馳せて、脱出し信州を経て甲州に抜け去ったそうだ。
楞厳寺山(りょうごんじさん)方面まで、ハイキングコースとして整備されてます。
しかし、歩くだけなら簡単ですが、騎乗して駆け抜けるとか決死の覚悟が必要ですね!
ここから家康も登った楞厳寺山に行けます。
犬戻り猿戻りと言うだけあるので尾根がやせていたり崩れやすい所もあるので気を付けてください。
未踏、です。
よってよくわからない。
甚五郎抜け道です。
この道は険しいという以外、現地にも詳しい案内もないのですが、少し進むと右手が池に降りる分岐になってます。
その先は時間に余裕がない、体力に自信がない、高所恐怖症、いずれかの人は進んではいけません。
完全に山道で細い尾根のアップダウンが続き、両側の急斜面はほぼ崖です。
落ちたら命はないかも知れません。
よく下調べせずに2~30分くらいで降りてこられるかと思ったら1時間以上、山道を歩くことになりました。
観光気分では進まないで下さい。
守将岡部丹波守元信率いる高天神城が徳川家康によって攻められ落城する際、武田勝頼から軍監として派遣されていた横田甚五郎が抜け出して甲府まで帰った道。
細かいアップダウンがある尾根道が続くが、現在は尾根の左右ともに樹木が生い茂っており下の景色が見えにくいため、それほどの恐怖感は感じない。
しかし高天神城が城郭として機能していたころには左右に樹木は生えておらず、崖下まで見渡せる断崖絶壁の痩せた尾根道であったことから、まさに犬や猿も渡ることを躊躇する危険な道であったと思われる。
高天神城を訪れた際には是非この道を渡って横田甚五郎の気分を少しでも味わうべき。
高天神社の裏手の小路を抜けると遠州灘の絶景を見渡せる展望台があります。
眺めが良いです☺️
名将岡部丹波守元信の最後の地高天神城落城の際に、軍監の横田尹松がここから脱出に成功したとされています。
名前 |
犬戻り猿戻り |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
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落城の際に馬を走らせて逃亡した道らしいがここで乗馬はかなり怖そうだ手前にある馬場平からの眺望が高天神城の中では一番よかった。