戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。
母衣を装備した珍しい姿の前田利家公像。
立派な像です。
背中の母衣、ものすごくデカいです。
境内にある前田利家公像。
織田信長 臣下「槍の又左」の異名は有名。
赤母衣衆の筆頭。
勇壮な彫像です。
お松の方の像は石に彫られた平面でこちらは馬に乗った立体でした。
佐々成政公の黒母衣衆、前田利家公の赤母衣衆、主君信長の守衛隊の象徴だけかと思いきや、中に鯨の髭、竹組合せ、髪編みなどを入れて自身を守る意味もあった様ですね。
この像の良い所は背中の大きな母衣!そもそも母衣の存在を知りませんでしたが、背中のデカデカとした謎の物体があることで興味をもて、すぐ隣に説明があることで、理解する流れができていて良いですね!
夜でも、入って見ることが出来ます。
前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。
加賀藩主前田氏の祖。
豊臣政権の五大老の一人。
俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。
母衣姿の前田利家。
良いな。
尾山神社境内にある利家公像。
「槍の又左」の異名は有名。
特徴的なのは背中にある母衣(ほろ)です。
母衣は鎧の背中に儲けた流れ矢防止具で、時代的に膨らんだ丸い造形が流行り(?)、中に竹串やクジラの骨や髭等を骨組みにして、丸くこしらえたそうです。
信長公に仕えてた青年時代は赤母衣衆として、佐々成政の黒母衣衆とともに従軍しました。
傍らにはお松の像が控えめに佇んでいます。
凛々しいお姿の像。
戦場での強さが現れた銅像ですね。
祀り祀られこの土地に🙏
前田利家は一向宗徒千人ばかりを磔(はりつけ)、釜茹で(かまゆで)にしたという過去があるのでどうも好きになれない。
福井県越前市武生にある小丸城跡から発見された瓦に、天正4年5月24日に前田利家が一揆衆千人ばかりを磔、釜茹でにしたことを後世に伝えるということが書かれていた。
(19/04/19)前田利家:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
戦国大名。
加賀藩主前田氏の祖。
豊臣政権の五大老の一人。
お松の方の像のそばにありました。
尾山神社にあります。
尾山神社は加賀前田家の藩祖前田利家とその室おまつの方を祀る神社です。
背に母衣(ほろ)を背負っており、槍持っている像です。
前田利家は「槍の又左」と呼ばれる槍の名手だったそうです。
尾山神社境内の前田利家像。
馬上で母衣を付け槍を持っている。
加賀百万石の藩祖。
背中に母衣(ほろ)を負っています。
織田信長公直属の「赤母衣衆」筆頭の頃の姿でしょうか。
母衣は矢や石などから防御するための補助具とのこと。
槍の名手で「槍の又左」と呼ばれていた前田利家公です。
生涯40近い戦に参戦したとのことですから、前線で戦うときに、後方からの飛び道具による攻撃を防御するためには必須のアイテムだったのでしょう。
NHKの大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」での唐沢寿明さんの勇姿を思い出させる像です。
香川照之さん演ずる豊臣秀吉 の死後、まさに”狸”を思わせる徳川家康(高嶋政宏さん)と前田利家との駆け引きは見ごたえがありました。
徳川家康が、前田利家の死を待って豊臣家を攻めた理由が分かります。
名前 |
前田利家公像 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
076-231-7210 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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前田利家公像。
(202403)【みちみち】※作者不明。
前田利祐書。
青年時代は赤母衣衆、槍の名手で「槍の又左」の異名を持った。
🅿️尾山神社参拝者(無料)駐車場、🚻トイレあり。
※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。