名前 |
二口城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.0 |
現在は神社の境内に城跡の石碑が建っているだけで、遺構などは何も残っていません。
1599年 父、前田利家を亡くした前田利長は、母を人質に出し徳川家康に恭順を示す。
そして、豊臣方についた小松城の丹羽長重(丹羽長秀 嫡子) 大聖寺城の山口宗永(小早川秀秋家臣) 等の南加賀の豊臣勢と相対するため、梯川の対岸にあたり、背後に手取川を擁した能美郡根上の地に二口城を築き拠点とした。
その後、大聖寺城攻防戦 小松浅井畷の戦いで前田利長は南加賀における攻防を優位にすすめる。
1600年 9月 関ヶ原の戦いで徳川方が豊臣方の石田三成に勝利し、結果的に南加賀での功績を徳川家康に認められ、南加賀を与えられる。
そして加賀能登越中 3カ国を治める事となる。