中山道の難所であったこの付近の通行の安全を旅人が祈...
誰か居たけど誰か判らず😥
龍王が産まれた場所らしい。
岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中山道の旅人たちにも厚く信仰され、中山道の難所であったこの付近の通行の安全を旅人が祈ったとされる。
観音堂の造りは、桧皮茸の入母屋造り、正面の屋根には千鳥破風をのせ、さらに唐破風の向拝を付けている。
建築年代は、19世紀始めと推定されている。
毎年7月の中旬にはお祭りが執り行われている。
ーーー[由来]ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「無極慧轍(えてつ)」禅師は、応永14 (1407)年 相州 最乗寺の修行を終え、故郷 肥前に帰る途中 猿啄城(さるばみじょう)主 西村善政の母である伯母を尋ねて この地に立ち寄った。
善政は、無極禅師の道徳に深く帰依し 関市下有地に 龍泰寺の建立を懇願した。
禅師は、これを受け入れ 龍泰寺の第一祖師となった。
翌年、伯母の病の回復を願いこの岩窟に行基の作といわれる十一面観音を祀り祈った。
それが岩屋観音の開基である。
また岩屋観音を奥の院として木曽川の対岸に大泉寺を創建した。
栗栖の大泉寺が本院。
岩屋観音が奥の院。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お水をいただきました。
山の状態を確認後、帰り道に寄ってみました。
坂祝方向に200mほど進んだところ(コンビニ跡らしい場所の隣)に、駐車場があります。
そこに「中山道」という標識があり、線路の左側を進んでいくと、金網越しに木曽川の雄大な景色が一望できます。
さらに進んでいくと、この観音堂に行き着きます。
岩壁の窪みに埋め込んだような建物で、奥の方はよく見えませんが何だかミステリアスな雰囲気でした。
クルマがビュンビュン飛ばしている国道沿いには、一等兵のお墓が二つあります。
なんでこんな場所に?という感じです。
岩をくりぬいた所にある社は見る価値あり。
景色が良くて行って良かった。
八大白龍大神(各務原市)の番人の方から伝説のお話を聞かせていただいた時、こちらの観音様にも会いに行ってみるといいよと言われようやく参拝することができました。
パンフレットが欲しかったけど木箱の中は空っぽで残念でした。
岩窟内に岩屋観世音菩薩があり、美濃路第一の風景「木曽川」が美しく流れていました。
名前 |
岩屋観音堂 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
現在も信仰されている現役の宗教施設であることがうかがい知れる。
古代の金採掘跡との伝承があるらしいが、チャートの岩盤に何かが貫入してるっぽい。