御朱印は書いて頂きました。
六代山不動院 兼 神明社社務所 / / / .
六代御前(平高清)の墓所の管理も行っている。
日々の運営は氏子会で仕切っているが、祭礼などの法要は神武寺で執り行っているとのこと。
冊子(100円)の紙質は上々。
フルカラーで写真も多くテキストの読み応え良くて申し分なしだった。
御守(200円)はかなり小振りだが故に嵩張らず財布等に入れやすい。
係の方にも丁寧に対応して頂いた。
源平の歴史の一葉。
京都や鎌倉などの旧跡のような雰囲気ではないけれど、歴史好きには静かにひたれる場所です。
平清盛の曾孫にあたる平高清の終焉の地。
平正盛から六代目になる人物で、正盛、忠盛、清盛、重盛、維盛、高清となります。
父維盛は当時美男子といわれていたとか。
維盛や高清の世代になると、忠盛や清盛世代のような猛々しさは剥がれ落ちていたのかもしれませんね。
六代御前高清は壇ノ浦合戦の後しばらく命を長らえられたのは、頼朝に対して周囲が説得し、若き平家の御曹司の助命嘆願があったからとか。
しかし自分を振り返ってみればみるほど頼朝としては、高清を撃つしかなかったのですね。
国木田独歩の「たき火」にもほんの一行だけ書かれています。
六代御前之墓に上がる階段下に御朱印所が有ります、御朱印は書いて頂きました。
名前 |
六代山不動院 兼 神明社社務所 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-873-7370 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
六代山不動院は、六代公の墓所と言われる場所です。
その嫡子が六代公で、清盛の祖父の正盛公から数えて直系の六代目に当ることから「六代御前」とよばれます。
①「正盛」ー②「忠盛」ー③「清盛」ー④「重盛」ー⑤「維盛」ー⑥「六代」平治の乱の跡、源頼朝公が助命されましたが、源平合戦後、平氏の嫡男である六代公も助命されましたが、頼朝公滅後、謀反を企んだとして、田越川のほとりで処刑されてしまいます。
十二才で平家が敗れた壇の浦の戦で捕らえられ、二十六才で処刑された悲劇の貴公子です。
六代御前不動院の後ろに、六代御前のお墓もあります。
この六代御前を最後として、あの隆盛を極めた平清盛の嫡流はこの地で完全に断絶することになります。
その断然の地に訪れたことは本当に肌がザワザワする程の不思議が思いを感じます。