平清盛の最後の嫡流・平六代高清の墓所。
平家滅亡後、一度は赦された方が当時の為政者から再び嫌疑を掛けられて命を取られてしまった。
(調べましたら、平維盛の嫡男で正盛から数えて六代目にあたる御方とのことでした)田越川周辺の住民が、不憫に思って供養した伝承地です。
当時の油断ならない世相を思ったり、御前の生前の行いからの供養なのかと考えたりすると、今も昔もそんなに変わっていないのかも、と感じました。
逗子にこんなにも立派なケヤキの木が有るなんて、5月のケヤキの綺麗な緑と青い空。
心が洗われる位に美しく感じました。
美化を保つ方々が今もされていることと思い、素敵だな、と感じました。
ビーチまで歩いて行くのなら左に入ってすぐですよ。
六代とは、平清盛の祖父、平正盛から数えて六代目、という事ですな。
平維盛の息子、高清の墓と伝わっております。
北条時政の手のものによって捕らえられたものの、文覚上人が助命を嘆願したことにより処刑を免れ、出家しました。
しかし、後ろ盾となってくれた文覚が流罪となってしまった事で彼を守るものはいなくなり、さほど間を置かずして処刑されたと伝えられております・・・まぁ、諸説ありましてねこの辺は(*´-`)史料によって没年は様々だし、処刑された場所もまた然りで、処刑されなかったかも、って話もあったり。
でも、趣きあるお墓でありました。
平清盛の最後の嫡流・平六代高清の墓所。
丘の上に植えられたけやきが大木になっていて、格調高い雰囲気がある。
平六代は頼朝に助命されたものの、頼朝没後、前を流れる田越川で処刑されたと伝えられる。
地元では六代御前と呼ばれ、バス停の名前にもなってる。
表通りからは少し入った場所にある。
平正盛から数えて直系の六代目で平清盛のひ孫である平高清がこの付近で処刑された。
平家終焉の地。
当時を偲ぶものは特にないが、毎年夏には六代御前供養祭が開催され、地元の人たちが集まる。
名前 |
六代御前之墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-871-4565 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
平清盛の曾孫に当たる平家の直系の六代目の嫡男に当たる方のお墓です。
源平合戦で平家が敗れた後、捕らえられましたが助命されました。
しかしながら、後ろ盾の文覚が流罪となった後、この墓所の前を流れる田越川のほとりで処刑されたと伝わっています。
六代公の祖父である平重盛公が、平治の乱後に源頼朝公の助命のために尽力された恩があり、源頼朝公自らがその恩に報いるためとして六代公を助命した経緯がありました。
しかしながら、源頼朝公滅後、平六代公も処刑されてしまい、平清盛の直系の嫡男の流れは完全に途絶えることとなります。
源頼朝公滅後、2代頼家公・3代実朝公と時を置かず、源頼朝公の嫡男の流れも途絶えることなります。
そう考えると、保元・平治の乱を発端とする源平の争いは相打ちという結論なのでしょうか・・・