名前 |
八幡神社(正八幡宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
創建は雄略治世第2戊戌年秋9月と伝え孝謙天皇天平宝字4庚子年4月再建。
勅願所として少彦名命を造営使として社殿並に七堂伽藍を建立せしめ本宮離宮若宮外宮四ケ寺を建て別当職置く而して附するに神領300石を以て広哀12町を画し之を給す。
後光巌院当国垂井行社所より小島村瑞巌寺に行幸の節当地を御通輦遊ばされ当社の神霊顕著なるを聞召し中途鳳輦を返し参拝し給う故に今に至る御車返の字名存す。
元亀2庚午年信長焼討により神社仏閣悉く烏有に皈せるも後再建さる。
元禄14年3月幕府当社各支社各社別当職四ケ寺を除地とす。
宝暦10年正月14日罹災焼失し、翌年2月復興再建す。
当八幡区は天領なるも一部は大垣領のため大垣藩主は八幡宮に縁故なるを重として毎年神饌米2俵を献じ、一つは大垣八幡社に一つを祖先に供せり。
遠近66部巡拝者の参拝に納経符を受くるもの常に絶ゆることなく近隣に比類無き美濃国一の宮として崇敬篤き処なり。