川に近く、魚に関連している?
我が町の神社。
古くて雰囲気の良い神社です。
名前 |
魚入神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=5e86b121-835b-42de-9ffc-ef4a0aaa6561 |
評価 |
3.6 |
川に近く、魚に関連している?っと思っていたのですが、魚入(うおいり)という名の由来は、廬入(いおり)姫(景行天皇皇女)が転じた名前とのこと。
廬入姫とは『古事記』に五百木之入日売(いおきのいりひめ)、『書紀』に五百城入姫と記され、景行天皇の皇女です。
廬入姫の母親は、天皇が美濃に行幸した時、妃とした八坂入媛とされます。
その兄、五百木之入日子が尾張連の祖とされます。
五百木之入日子は、建伊那陀宿祢(たけいなだのすくねのみこと)の娘志理都紀斗売(しりつきとめ)を娶ったという伝承があります。
『尾張国神名帳』に記載される「魚入神社」に相当する神社とされます。
葉栗郡一帯では、この地域の地方役人が中央集権である、大和政権への忠誠を示すため、記念碑として、廬入姫の誕生を寿ぐ神社を各地で創建しました。
○宇夫須那神社○宇夫須奈神社○綾衾(あぶすま)神社○青衾(あおぶすま)神社など、同様の由縁の神社が今も各地に残ります。
創建は不詳。
一説に延喜式神名帳尾張国葉栗郡の伊富利部神社の論社とされています。
一般的に神名帳の伊富利部神社は、一宮市の伊富利部神社に比定されます。
境内社に津島社(祭神 素戔嗚命)がりますが、津島社は明治5年の合祀です。
由来については、次の①②③が見つけられます。
①『寛文村々覚書』によれば、小杁村に熊野権現と富士浅間と八幡があるといい、このうちの熊野社が明治4年(1871)に魚入神社であるとされ、その後明治末年に富士浅間社と八幡社が合祀され現在に至ります。
祭神は伊弉冊尊・応神天皇・木花咲耶姫命。
②津田正生の「尾張国地名考」では魚入(うおいり)は庵入(いをいり)の転じたるものとして、庵入姫に由来しているといいます。
③「尾張誌」では、尾張大海媛の孫で八坂入姫の腹に生まれた五百木姫の音が変化して、庵入姫となったものとされ、景行天皇の娘と見ています。