人の往来がみられ る不思議なスポット。
蘇我蝦夷と蘇我入鹿の墓と云われている方墳です。
石棺は家形石棺で珍しく、鍵が掛かっていますが開けられて中が覗けます。
着いたら、戸が閉まり、鍵がかかっています。
なんだ、石棺は見られないのか…と思うと、よーく見れば戸の左上に鍵を開けてOKと書いてあり、格子戸の隙間から石棺が見られます!格子戸の中に手を入れて写真を撮る時は、くれぐれもカメラを落とさぬようにご注意ください。
・石棺は非常に珍しく、くり抜き式の内側に漆が塗られているそうです。
石棺から夾紵棺へ移る時期に当たるのですかね?保護の為、何時も水が溜まるようにしているようです。
誰かお金を出して、きちんと保護管理して頂きたいものですね。
石棺があそこまで綺麗に残っているのには驚きました。
住宅街の側に在ります。
散歩の途中で寄りました。
藤原京、天武天皇と持統天皇陵、菖蒲池古墳、文武天皇陵、キトラ古墳、それら直線上にほぼ重なる場所にある高松塚古墳。
そして藤原不比等の邸宅があった法華寺もこの直線状にある(これは偶然かな?)
入口が分かりづらく通り過ぎてしまったところ、サイクリングしていた男性が「行き過ぎだよ」って教えてくれた。
ありがとうございました(^_^)
場所的にみて蘇我氏の墓だと思うけど、偶々なのか藤原京を中心として南北の聖なるライン上にあるのもミステリー。
横の小山田遺跡との関係においても諸説紛々だ。
▪古墳としては珍しく、人の往来がみられ る不思議なスポット。
○○コースでの立ち寄りなのかは不明で ですが・・・。
特段古墳好きの「古墳変人」には思えない、 ごく普通のノーマルな人たちも見受けら れるので。
隠れたパワースポットとか !?▪ぬかるみと枯れ草とで、足元が不安定な ので、早春が無難かも !?▪墳丘の外観の全体像が掴めずにて、消化 不良 「気味の真備」~。
▪古墳としては珍しく、人の往来がみられる不思議なスポット。
○○コースでの立ち寄りなのかは不明でですが・・・。
特段古墳好きの「古墳変人」には思えない、ごく普通のノーマルな人たちも見受けられるので。
隠れたパワースポットとか !?▪ぬかるみと枯れ草とで、足元が不安定なので、早春が無難かも !?▪墳丘の外観の全体像が掴めずにて、消化不良 「気味の真備」~。
近くに村立のゲートボールセンターがあり、そこに車を停めることができます。
古墳まで草むらの中を歩くのでひっつき虫がかなり付きます。
そして蚊がたくさんいます。
野生の木苺がなっていました。
車道に標識が立っているのでおおよその位置はわかりやすいのですが、入口の看板が目立たず、ややわかりづらいです。
草が生い茂っているので、墳形はわかりづらいですが、見事な石棺が二基残されています。
縦に並んでいるので、奥の石棺は見にくいのですが。
すぐ近くに養護学校がありますが、この下にも古墳が見つかっているようです。
小山田古墳が壊されたために、入れる予定だった蝦夷の石棺を菖蒲池古墳に入れたのではないか。
なので、奥が蘇我入鹿 手前が父 蝦夷の石棺かもしれない。
石棺の精密な作りは生前住んでいた邸宅を模しているのではないかとのこと。
とNHKでやってました。
興味深いですね。
一辺30mの方墳、築造時期は7世紀中頃と推定。
埋葬者は不明。
皇族もしくは、蘇我氏の墓とする説がある。
精巧な造りの家形石棺2基が有名。
古墳自体は原形を留めていないが、石室は覆屋で保存されている。
玄室内部には家形石棺2基を据えるが、これら2基は非常に精巧な造りで、全国的にも特異な石棺になる。
築造は7世紀頃とみられ皇族もしくは蘇我氏の墓ではないかと言われている。
建屋で覆われていて、柵の合間から玄室内の石棺を眺めることができます。
闇に浮かぶ石棺訪れる人が少ないようですが、なかなか立派な石棺が見れました。
皇族、あるいは隣の小山田古墳との関係や古代の破壊痕などから蘇我氏の墓とも。
いずれにせよ、暗い中に浮かぶ2基の家型石棺のインパクトだけでも自転車漕いだかいがありました。
なかなか見事なな石棺と石屋。
小山田古墳の陪墳なのかな? 小山田古墳が蘇我蝦夷なら、被葬者はその身内ぽいよね。方墳で甘樫丘との位置関係から、蝦夷のヨメ→布都姫か阿部姫とかになるのか? 然し、真南に野口王墓が在るのだ。気になる。
飛鳥の西の入口。
近くの小山田遺跡との関連。
今後の研究が待たれる。
見事な家型石棺が2つある。
不思議。
日本書紀 皇極元年の記述に関連。
欽明7年も関連。
名前 |
菖蒲池古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~18:00 |
評価 |
3.8 |
2月に行きました草が枯れていて歩きやすく虫もいないのでこの時期で良かったです。