かつてここで、鬼が人間をバラしました。
👹鬼の俎板と雪隠(トイレ)鬼は随分荒々しいキッチンと大きなトイレを使っていたな。
俎板のすぐ下に雪隠がある。
実際は分からないから好きなようにイメージを膨らませよう!
面白いですね。
石棺の土台部分ですね。
飛鳥歴史公園館の駐車場から歩いて十分ぐらいです。
説明:花崗岩をくり抜き、中央が空洞になった石造物と大きな爼石がある。
鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがある。
現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋と説明されているが、何故現在の場所にあるのかは判明していない。
20年前は柵も説明板もなく知名度のわりには素っ気ない感じでしたが、今ではきちんと整備されています。
貴重な文化財であり観光資源でもあるので、人目に付きにくい場所柄的にも、不届き者に悪さをされないよう目に見える抑止力があったほうがいいでしょうね。
かつてここで、鬼が人間をバラしました。
当時の被害者の遺骨とか、あるいは血肉とか、その辺に散らばっていないかと探してみてもいいかもしれません。
怨霊に出会うかもしれませんが、たくさんの石像によって封じられていると思います。
飛鳥には大きくて奇妙な石がたくさんあります。
道路から階段を昇った小高い丘に鬼の俎板(まないた)と呼ばれる平な大きな石があります。
是非、見学して下さい。
この平な石は下にある鬼の雪隠とペアーのようでもともとは石館だったようです。
ただ場所は分かりにくいです。
道が狭いので自動車はやめた方がいいとおもいます。
駐車場もありません。
自転車か歩きにした方が無難です。
鬼の伝説がありますが、これは古墳の石室の床石です。
石室の天井石は、鬼の雪隠です。
飛鳥時代の巨石です。
迫力あります。
鬼がいたら楽しかっただろーになぁ。
でも、ここに来ると、なんだか、鬼がいたんじゃないかと、妄想します。
来ずらいところですが、、、なんとなく、見てもらいたい、そんな不思議な場所です。
鬼の雪隠のすぐ近くの小さな階段を上がった林の中にあり、古墳の封土が失われて石室の床石部分の残ったものだとか。
鬼の雪隠とセットで見れば古墳の石室ということが分かる。
こちらの人工物は、下にある鬼の雪隠の石室の土台部分だそうです。
鬼の雪隠同様に昔の人が鬼の伝説をつくったのが興味深いです。
鬼さんのお料理に使われた伝承ですが古墳ですね。
ひっそりとした場所にあります。
まぁ、そんなもの。
過大な期待を持っていくところではないかな。
暴かれた古墳の跡です。
飛鳥時代は、大陸や半島と同様に旧勢力は徹底的に消滅させていたことがわかります。
こうして見ると石室の底部の造り方が良く分かる。
実際にきめ細かい作りで設計図があったのだろう。
軽いものだったら合わしてみて修正も簡単だけど重い石では一発勝負だったんだろうか?合わなければ雪隠詰めされた心境になるかも?
鬼の俎・鬼の雪隠は伝説上の呼び名です。
昔この辺りに棲んでいた鬼が、通りかかった人を道に迷わせ、捕らえては「俎(まないた)」で調理し、食べたあと「雪隠(せっちん)」で用を足していたという伝説です。
確かに山裾の細い山道であり、鬼や山賊が出てきてもおかしくない雰囲気を漂わせています。
実際は古墳の石室がバラバラになったものであり、「俎」が底石、「雪隠」が石室を覆っていた蓋石又は壁が、地震で崩れ落ちたのか、 人為的に崩されたのかとも言われています。
近くに欽明天皇陵があることから、カナヅカ古墳と同様に、その陪塚なのか、それとも単独の古墳なのかは定かでありません。
被葬者も色々な説があり、欽明天皇や斉明天皇、又は蘇我一族の有力者という説もあります。
個人的には、大化の改新で亡ぼされた蘇我一族の古墳が徹底的に取り壊された跡ではないかと。
石舞台古墳が蘇我馬子の墓であり、古墳を覆っていた封土が失われて石室のみとなっていることが思い起こされます。
それを考えると、歴史ロマンよりも怖さを感じます。
ここは天武・持統天皇から欽明天皇陵・猿石に至る途中にあり、車よりも徒歩や自転車をお勧めします。
歴史的に珍しい遺構です。
ただ演出はいまいちなので、よほど興味を持って行かないと興醒めしてしまうかも。
鬼の雪隠とセットで見れます。
鬼の雪隠と合わせて石室の一部だったらしい階段を上った藪の中にある。
「鬼の雪隠」の対となるこの「鬼の俎(まないた)」。
見た目はただの平たい石なのですが、もともとは古墳だったらしいです。
盛ってあった土が無くなって上部の「鬼の雪隠(せっちん)」が下に転げ落ちてしまったのだそう。
現在は緑に囲まれたちょっと薄暗い中、苔なども生えて、とても神秘的な雰囲気を醸し出しています。
厚さは1メートルらしいのですが、見えているのは20センチ程度。
この下にはまだ80センチも隠れているのかと、驚きです。
平たくて大きいので、写真にはちょっと撮りにくいかもしれませんね。
「ここで料理をしたの?」(;゚ロ゚)えっ?振り向くと、三人組の女子旅の方でした。
料理ができる鬼の存在を、疑っていない純粋な方でしょうか。
鬼を巨大なという事に置き換えて、ここで神様に供える特別な料理を作ったとする事に出来なくもないが、やはり石室だと思う。
欽明天皇は、笑っているだろうか。
それとも角を生やしているだろうか。
石室の一部です目の前の道が狭いので要注意帰る時に階段から見える景色が明日香村らしくて良いです。
細い道から少し上がったところにありました。
下には鬼の雪隠があります。
気候が良いときにサイクリングすると気持ちが良かったです。
道案内の看板ができていました。
駐車場はありませんが車で通ることのできる道です。
自転車道も整備されていました。
電気自動車なので持統天皇陵前の駐車場に停めようと思うも、観光地なのにこの表示なし。
三度行きすぎる。
さて、目的地へと案内なくウロウロ、簡易地図の方向へ歩くも判らず、観光客らしき人が戻ってきた方へ行き迷う。
地元の人も歩いてなく困惑。
案内表示なし。
簡易地図の方向の畑上に小さな標識らしきものを発見。
近付くと当たり‼ ここは小道にも案内表示なし不可思議観光地「明日香村」。
でも、東洋系外国人観光客なし❗
難読漢字ですね。
俎は「まないた」、雪隠は「せっちん」でトイレのことです。
昔この辺りに鬼がというお話しです。
実際は古墳の中の石棺の上の覆いの部分が落ちたのが石棺で、下の部分が俎ということらしいです。
レンタサイクルの使用をお勧めします。
この石室は何故此処に有るのでしょうね?
破壊されて転げ落ちた古墳の石室。
どうして破壊されたのかが知りたい。
本当に鬼が俎で人を刻み雪隠で用を足している様を想像してみると楽しい。
春の良い気候に散策するのがおすすめ。
いや~、コレは”豪華石棺上下二点setアンサンブル”ですね。時代は、終末期古墳て辺りなのかなぁ? じゃ七世紀だな。適当に半可通プロファイリングしてみますね。どーせ闇歴史の案件だ…。一枚岩(花崗岩)をくり抜いたかなり精巧な造りで、被葬者は相当御身分の高い方か? 完成された古墳の封土を、わざわざ取り除き石室迄野晒しにする感覚は、日本人には無いものです。死後、とんでもない悪事が発覚したとしても墓暴きしない(古代では最大級の侮辱だ。皇族墳では無いな。)。祟が怖いよ。もしかすると”中の人”迄此処に晒してあったのカモ!?霧の中でそんなモノ🗿が見え隠れしていたら…見た旅人は キャ─٩(*ノдノ)ว─ァ! !だな。「鬼が(古墳から)出たぁー!」てな。wでェ→犯人渡来系かな? ガイシャはこの後に”幽鬼”(幽霊)であると謂われている、飛鳥住まいの超金持な上級豪族クラス、記紀に事跡(でないと個人特定不能)が記されている人で、該当しそうなヒトは…ソレは…誰だぁ? ←何か推論が雑。データ足らずだねェ~。٩(´-`)。oOう~むゅ…🔎蘇我一族の誰かか? 👉伝説の「👹がKye」なのか? 鬼化したヒトとは? 記録あるかなぁ…。👉書紀に「今来の土地に双墓」とある。○今来の人は→”渡来人”だね。この辺りで檜隈エリアが”渡来系の東漢”が多く住んでいた場所。蘇我一族と手を組み頭角顕し、表裏に活躍したらしい。○ 双墓は→近くから”同タイプの石棺”見つかった(今は橿原考古に展示)。この近くの場所に二つ並んでいた可能性がある。○アッチの晒し方墳(石舞台)が、馬子墓確定なら此処と対になるはず。”馬子→蝦夷→入鹿ライン” 三つの晒し上円方墳!? ←ムリムリ寄せたなっ!ズバリ👉「蘇我入鹿(仮墓?)」しかない! マジっすかぁ…ハァ?○死後、入鹿が鬼👹と化し彷徨った。てなこと確か紀のどっか、書いてあったよーな気がする。(急に気弱…寄り切れな~い)[付記]斉明紀 帝崩御「是夕 於朝倉山上 有鬼 着大笠 臨視喪儀 衆皆磋怪 」by書紀 文脈から”鬼は入鹿”か。
これが何なのか所説あるようですが、わたしは鬼伝説がすき。
鬼がここで人を捉えて調理したと伝わります。
いわゆる台所説。
雪隠では鬼の厠だったとか。
鬼がよく目撃されてたんでしょうか。
名前 |
鬼の俎 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0744-54-5600 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/04stone/03east_area/oninomanaita-oninosetchin/ |
評価 |
3.7 |
観光ガイドさんと来ました。
石室の跡だそうです。
道を挟んで向かいに石室の屋根が落ちています。