京都府京都市右京区太秦蜂岡町にある神社。
小さな無人の神社。
始皇帝を奉っているとかで、なかなか珍しい神社です。
大酒神社渡来系豪族の秦氏の氏神様⛩御祭神は・秦始皇帝(始皇帝)・弓月王・秦酒公大人気のキング○ムの主要キャラで中国の初代皇帝を祀られている神社です⭐️歴史好きな方は是非お越しくださいませ😊
もとは広隆寺の寺内社であった大酒神社は明治の神仏分離政策で今の場所に移された。
広隆寺自体、聖徳太子から弥勒菩薩を安置するため秦河勝が建立した秦氏の氏寺であった。
現在では大酒神社となっているが、かつては「大避・大闢」(ダビデ)とされていた。
秦氏自身、秦の始皇帝を祖とする一族であると名乗り、最初に渡来した者は「弓月君(ゆずきのきみ)」としている。
その弓月国はシルクロードを経由して現在のタジキスタンの中国新疆ウイグル自治区近くにあった原始キリスト教(ネストリウス派?)の国であった。
そのような訳で、日ユ同祖論が取りざされ、こんな小さな神社に多くの人が訪れている。
太秦広隆寺の正面から右手に緩い登り坂を過ぎて左手に、小さな社を囲む生け垣がある。
そこを過ぎて振り返ると、ハツ角柱の石の鳥居があって、その先に穴の空いた石のモニュメントがある。
その後ろに本殿がある。
大闢すなわちダビデを祀ったとは···都市伝説。
ハツ角柱は宇佐八幡宮の境内にもあるという。
5角柱としての地神碑は岡山に多く存在する。
これにはその5面に天照大神·大己貴命·倉稲魂命·少彦名命·埴安媛命の銘が刻まれてあり、ハツ角柱には更に三面に導きの神猿田彦、そして建立総氏子中と年号が·刻まれているという。
謎はなぜ広隆寺の境内から外されたのかだ···さてと、また広隆寺前に戻り、三条通りを少し歩き、細い横道に入り東に向けて太子道を歩く。
その先に三角鳥居と元糺の池のある蚕ノ社が待っている。
太秦映画村や広隆寺のすぐ南、京福太秦駅の北に鎮座してうるのが大酒神社(おおさけじんじゃ)になります。
大酒神社は渡来系氏族「秦氏」が、彼らの祖である秦の始皇帝を祀ったのが創建とされています。
元は秦氏の氏寺である太秦広隆寺の境内にある「桂宮院」の後方に鎮守として鎮座していましたが明治の神仏分離で現在地に遷ってきました。
予備知識なしでの訪問でしたが京都市内に始皇帝を主祭神にしているの神社という事で由緒書を読んでびっくりしました。
始皇帝を主祭神としている神社ですが拝殿等の設備は無く、こじんまりした本殿と本殿両脇に灯籠が建っているだけで他に境内社等も無く、非常に簡素な境内でした。
主祭神秦始皇帝弓月王(ゆんずのきみ)秦酒公(はたのさけのきみ)相殿神兄媛命(えひめのみこと) - 呉服女弟媛命(おとひめのみこと) - 漢織女。
大酒と言う名前が変わった神社。
小さな神社でそれほど特徴はないが、説明書きには「秦の始皇帝」を祀っていると書いてあります。
すごいと言えばすごいかな。
他にあまり無いですし。
場所は、嵐電「太秦広隆寺駅」から歩いて5分かからないです。
静かな良い場所です。
隣の幼稚園児が、いっぱいたむろしてました。
信仰の場が、幼稚園児の散歩場所になってます。
近辺は車の往来があるが一歩神社に足を入れたら静かで落ち着きます❗
小さいけれどパワフルな神社。
神社は元々すごいですが、京都の神社はスゴイなあと思いました。
ローソンの向かいに神社があります。
大酒神社と聞いて「酒樽が沢山ある神社」だと思いましたが・・・🙇u200d♀️💦💦とても小さな神社で無人でした🤫広隆寺から歩いて👣太秦映画村へ行く途中にあります(50㍍)ローソンの前です。
広隆寺には石段あり、諦めました😭
自然幼稚園の隣にある、小さいながらも良い雰囲気の神社です。
祭神は秦始皇帝、弓月王、秦酒公‼️創建は仲哀天皇8年つまり356年‼️広隆寺、松尾大社、伏見稲荷の起源とされる。
秦氏族の租神でもある。
安酒でもいい❣️死ぬまで美味しいお酒が飲めますように❣️( *´艸`)南無👏
以前、自分の愛読している特殊な雑誌に掲載されていて、「蚕ノ社」と共に行ってみたい神社で、参拝することが出来て感激しました。
昔の社名「大辟」は、意味を調べると「死刑」という意味で、また、ユダヤ人の「ダビデ王」という説もあるとか…
古代の渡来系氏族である秦(はた)氏について、時系列を追ってまとめてみました。
八角柱の鳥居はとても珍しいですね。
広隆寺のすぐ側です。
東映太秦映画村も近いので、ここらを観光した時に参拝するのも良いかも。
延喜式神名帳葛野郡 大辟神社祭神: 秦始皇帝 弓月王 秦酒公、相殿 兄媛命 弟媛命(呉織女、漢織女) 由緒書によれば、 「大辟(おおさけ)」とは、仲哀天皇八年(三五六年)に秦始皇帝一四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け来朝しこの地に秦始皇帝の神霊を勧請した。
后の代にいたり、功満王の子弓月王、応神天皇一四年(三七二年)百済より一二七県の民衆を一万八千六百余人統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上した。
また、弓月王の孫 酒公は、秦氏諸族をひきいて蚕を養い、絹綾錦を夥しく織りだし朝廷に奉ったので、天皇は埋益という意味で酒公に禹豆麻佐の姓を賜った。
大酒神社、元はすぐ西隣りの、京都で一番古いて寺、広隆寺と一体です。
太秦の地は、秦氏ゆかりの史跡、社寺が多い。
写真の大酒(古くは大辟)神社は、広隆寺(秦氏の氏寺)の伽藍神(がらんしん=寺院守護の神)であったが、明治期の神仏分離により寺の東へ移動した。
祭神の一つは、秦の始皇帝。
紀元前221年、中国史上最初の統一国家、秦を築き、法治主義、万里の長城などで有名な人物である。
5世紀頃、朝鮮半島から日本へ帰化し、文化、技術を伝えた秦一族とこの始皇帝に直系的な繋がりがあるのかは不明だが、姓を同じくする著名な皇帝を、一族の始祖として祀ることにより、この地での結束を強固なものとしたのであろう。
10月12日に行なわれる広隆寺の牛祭りは、もと大酒神社の祭礼で、京都三大奇祭の一つとされている。
夕刻、牛にまたがった摩多羅神(またらしん=特異な姿、複雑な成り立ちを持つとされる天台宗の神)が、境内をねり歩くのである。
異形の面を付け、装束、行動が奇怪ら祭として古くから人々に知られている。
晩年、不老不死の妙薬を求めて東西をさ迷い歩いたという秦の始皇帝の情念が、時空を超え、この牛祭りに憑依したのかもしれない。
面白い伝説の宝庫✨小さいけど侮れない歴史を内包する。
*●*●* Osake Shrine 大酒神社 *●*●* Osake Shrine is located right next to Koryuji on its east. According to the official record of history in Koryuji, it is believed to be founded by Hata clan which came to Japan from Israel in 5 to 6th century. The deity enshrined here is the first emperor of Hata clan ( Shikoutei ). The Hata clan is believed to have developed this entire area of Uzumasa in ancient times. According to the historical research by expert scholars, the part of its name 酒 has nothing to do with drinking sake. One assumed that it ame from the verb 避ける " Sakeru " means to avoid to avoid troubles in life. Another assumption is that Hata Clan opened the land of Uzumasa by ripping through the ground with their advanced civil enginnering method. In Japanese 裂く " Saku = rip ". There is a large stone monument of Hata Clan with a mysterious hole since their deity is in a form of a rock. 大酒神社(おおさけじんじゃ)は、京都府京都市右京区太秦蜂岡町にある神社。
式内社で、旧社格は村社 『延喜式』神名帳での祭神の記載は1座。
同帳では「大酒神社 元名大辟神」とあることから、元の神名は「大辟神」であったことが知られる。
大酒神について、広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』(山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記、明応8年(1499年)成立)では秦の始皇帝の祖神とし、日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔、秦氏遠祖)が勧請したとする。
伝承自体の真偽は明らかでないが、伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され、史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
近年の研究では、元の神名の「大辟(大避)」から、「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。
この説では、『空華日工集』・『広隆寺縁起』において神体が石と記されることと、一般に石神の多くが猿田彦神(道祖神)とされることとが関連づけて指摘される。
一方、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もある。
To visit Konoshima Shrine ( Kaiko no Yashiro ) go along Sanjo street along the railroad toward east until you come to the station. There you will see its first tori gate on your left leads to the shrine in the north. ( Trans-word+ : TGM Kyoto Guide )
名前 |
大酒神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
令和二年 10月2日 京都初秋の旅大酒神社広隆寺の隣にあるので何か関係あるのかな⁉️