暖かい日に子供達を連れていくと原っぱを駆け回る子犬...
重要文化財の十三重石塔を見学しつつ、於美阿志神社にお参りしました。
飛鳥の歴史を感じさせる史跡です。
良いさんぽ道。
児童公園🎄里山、キトラ迄のんびり歩けます。
人気がない。
きれいに掃除されてる。
神社と史跡説明がある。
ラブラブ❗️さむーーー。
のどかな明日香の畑風景を見渡せる丘のようになっていて、暖かい日に子供達を連れていくと原っぱを駆け回る子犬のようになります。
比較的新しい史跡館では、エアコンの効いた室内で座って休憩することができます。
本来の史跡への訪れかたではないですが、ちょっとしたピクニックをしに行くことが多いです。
駐車場は丘のしたに30台程度あります。
割と階段を登るし、丘のうえはそこそこ急斜面なので、自信がない方は気を付けてください。
トイレあり。
身障者用もあります。
ジュースの自販機はありますが、売店はありません。
東漢一族の氏寺とされる寺院跡。
伽藍配置は西向きの特異な配置。
13重の石塔のみが残っている。
渡来系氏族の氏寺とされる。
飛鳥駅からキトラ古墳への道すがらにあるが、意識しないと立ち寄ることができない。
東漢氏の氏寺。
宣化天皇の宮跡。
少し脇道に逸れた丘の上にあるので、行くつもりでなければ恐らく気づかない 周囲は非常に牧歌的な丘陵地で古代の息吹を感じられます 少し降りたところに駐車場があります。
檜隈(ひのくま)寺跡。
東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺とされる古代寺院。
漢氏は、織物工芸に長けており「漢」を「あや」と読んだそうです。
同じ境内に於美阿志(おみあし)神社があり、元祖である阿智使主(あちのおみ)が祀られています。
「ひのくま」には檜隈・檜前の漢字があります。
コノ地域周辺には 3世紀の後半に 朝鮮半島から共通の祖先を持つ 血縁集団の漢民族の東漢(ヤマトノアヤ)一族が 渡来居住し 一族の祖である使主阿知(アチノオミ)を祭神とし祀られた 於美阿志神社(オミアシジンシャ)が創られたトノ事ですまたソノ後の7世紀には コノ同じ場所に東漢一族が桧隈寺(ヒノクマデラ)を創建しました当初 寺の伽藍は境内を回廊で巡り ソノ回廊が各伽藍を四角に繋いだ配置で 西回廊(正面)の中程には中門(仏堂との説も)があり 北面回廊には講堂が また南回廊には金堂があり 回廊内の東には 現在唯一現存する 平安時代に造られた 重要文化財の十三重石塔婆が残っているのみで 前記した他の伽藍は 何れも有りません しかしながらコノ伽藍配置は 1969年以降に行われた 4回の発掘調査に於て分かったトノ事ですまた 日本に仏教を初め 建築 仏像 焼物 織物 等の分野で 多くの知識や技術や人材等を送り込んだ渡来人達は 日本史上における文明文化の発展に 多大なる貢献を果たしました 私はキトラ古墳の帰りに コノ地にフラっと訪れ コレらの事を初めて知り ソノ事を忘れてはダメだと 思い興される次第でした❗
東漢氏の氏寺今は於美阿志神社と石塔になってますが、7世紀には後漢の霊帝の末裔を称する渡来系の東漢(やまとのあや)氏がこの辺りを拠点にしていたそうです。
蘇我馬子のもとで崇峻天皇を害し奉った東漢駒、藤原仲麻呂の乱で功績を立てた坂上苅田麻呂、その息子のレジェンド坂上田村麻呂などのガチムチのほか、陶工や織工、絵師、通訳などの技能集団を擁したところなど、同じく渡来系の秦氏と共通する所が多いですね。
キトラ古墳、高松塚古墳からも近く、通りから少し外れた場所に静かで、心地よい場所があるとは思っていませんでした、立ち寄る価値あり。
平安時代の十三重石塔は重要文化財です。
ちょっと上が欠けてしまっているけど。
檜前氏から坂上田村麻呂が輩出し、この土地の多くの人々を蝦夷征伐に連れて行き、東北や関東に土着させ、それらの地方の開発に貢献させた。
於美阿志神社・檜隈寺跡本居宣長は菅笠日記の旅で檜隈寺跡を訪問しました。
三月十日(第6日)吉野で如意輪寺参詣、壺阪寺、橘寺、飛鳥の岡(泊)
名前 |
檜隈寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/masumasu/taika/taika01/ |
評価 |
3.7 |
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古い時代を感じます✨適当に‼️参拝しましょう。