遺跡と言っても何も無いような感じでした。
中大兄皇子が作ったとされる「漏刻」の遺跡です。
これで、時の朝廷は時間を管理し、人々の支配を強めて行きました。
2023年春に、リニューアル工事が行われ綺麗になっています。
『日本書紀』に記されていた日本初の時計(水時計)の跡です。
それがこのように残っていたとは驚きですね。
それにしてもこちらの礎石は礎石同士を更に石で繋いでいるというかなり特異な形をしています。
私は他にこのようなものを見たことがありません。
何故このような形をしているのでしょうか?水時計という精密機器が設置されていたからでしょうか?水時計というのは当時の最先端のテクノロジーであり文字通り「文明の利器」だったと思います。
そういうものを人々に見せることによって朝廷の威信を示すという意味もあったと思いますが、土地や人民というモノだけでなく「時」をも朝廷が支配するという意味もあったと思います。
最後になりましたが飛鳥資料館で発掘された当時の水落遺跡の模型と復元された水時計・漏刻を見ることができます。
中大兄皇子が建設した漏刻(水時計)の跡。
掘立柱の建物跡地内にそれらしき施設が残っている。
当時の日本(倭)は中国の先進技術を積極的に取り入れようとしており、これもその一つと思われる。
天智天皇の即位前の中大兄皇子のとき、斉明天皇のとき、水時計を作ったのは、壬辰の乱の小説で知っていたのですが、その遺跡があるとは、知らず、驚きました。
どういう仕組みか分かりませんが、良かったです。
中大兄皇子が造ったといわれている日本初の漏刻(ろうこく)、つまり水時計の跡で、日本書紀にその記載があるとのこと。
この柱跡は掘立柱建物跡で、近くを流れる飛鳥川の水を建物内に引き入れて、時を計っていたらしい。
記録によると、日本で初めて時計による時の知らせが行われたのが6月10日であったため、それを記念して「時の記念日」が制定されたとのこと。
言い伝え通りに現れるって感動もんです。
重要な場所は細い道がデフォでしたね、軍勢が攻め込まれないよう立ち合い道とかが各地に残る名残です。
この地の狭い道はバイクでも危ない、自転車で周るのが良いです。
国家として成立させる為にはインフラ整備が必要です。
道路とか水利とか、それ以外にも社会制度とか。
あと重要なのが単位ですよね。
重さ長さ時間貨幣etc.....日本と言う国家のインフラ整備を考えた場合、ここは無茶苦茶重要な遺跡ですよ。
飛鳥資料館に詳細が展示されているので、見学後に訪れると宜しいかと思います。
日本書紀によれば、660年に中大兄皇子が日本で初めて水時計を作って、時刻を人々に知らせた、とのこと。
その水時計のあった場所がこの水落遺跡である!実はスゴイ遺跡なのだ!!説明が詳しく掲示されているので、これを熟読すべし!!
時を正確にするため、作られたという。
大化より元号が始まるが、このことと水時計の時間の管理と同じような思いが中大兄皇子の中にあったのだろうか?ふと思った次第。
プラタモリで見て行ってみたいと訪問。
今回はクルマでGoogle MAPわにてナビをして。
すると、すぐそばまで行けたのですが、よく見ると「あすか夢の楽市」から訪問できるようになっており、そこの駐車場に止めて帰りに買い物できたのにと思いました。
そして、この遺跡は歴史的なのですが、単なる古〜い遺跡でその遺構もあまりにも昔の過ぎてイメージが湧く物では無かった。
ただ、その歴史的な土地に立っているという実感だけはあった!
明日香村の漏刻(水時計)の跡。
整備されているので、見学しやすいです。
欲を言えば、説明看板はあるのですが、もう少し詳しくわかると嬉しいです。
水の流れ方、どう使ったのか、想像をかき立ててくれるようなリアルな説明があると、より見応えがあると思います。
中大兄皇子が造った日本初の時計として知られる漏刻・水時計跡。
時を定めるという大事な遺跡なのに整備がされていないのが残念。
平成31年3月13日再訪。
まさに時の記念日が制定された場所。
そしてそれが1981/6/10と誕生日と同じでしたのでご縁を感じます🎂1300年前、どんな暮らしをされていたのか想像するだけで楽しい時間。
1300年後、どんな風景になってるんだろう。
昔から駐車場があり、車で訪ねやすい史跡だったのですが、20年ぶりに訪問したら、産直や村の文化財展示施設が併設されていて、すごい行きやすくなってました。
史跡整備の古さは否めませんが、訪れやすい場所です。
昭和生まれの私が軽々に飛鳥の遺跡をレビューするのは烏滸がましいと感じられるくらいの深い、深い、歴史の宝庫です。
数多い遺跡の中でもこの水落遺跡は日本最古の水時計は、ただ、ただ、いにしえ人の息吹と知恵と勇気と愛とエネルギーが感じられます。
また、この辺りは、石人像の出土地で有名です。
初めて訪れる方は飛鳥資料館を先に観てから各遺跡を訪れる事をお勧めします。
南北48M以上達する大規模な造成が行われた。
飛鳥川の氾濫による堆積層で地盤が不安定なことから、地面をプール状に掘り込んで新たに土を入れ、強固にする入念な整地が行われ礎石を地中梁で補強した。
北側に隣接する斉明朝(7世紀中ごろ)の迎賓館跡・石神遺跡に向かって水を流す銅管や木樋(もくひ)跡、大型建物の柱穴などが見つかっている。
漏刻の水は石神遺跡の噴水 施設「須弥山(しゅみせん)石」に再利用したことが分かっている。
参考記事「明日香・水落遺跡2010年12月3日 奈良新聞」。
飛鳥時代の漏刻、時刻をつり鐘で知らせた建物が有った処、飛鳥寺の北西の角に位置しています。
建築学的には最古の地中梁があります。
北西の角に露出展示されています。
柱石と柱石との間を縦、横、斜め、と石を並べて柱石が横ずれしないようにしています。
当時の地震への対策であったかは想像です。
名前 |
飛鳥水落遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-54-5600 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
展示そのものはどうなんでしょう。
最近のものでしょうね。
でも、当時から水時計のシステムがあったことを示すものとしては感慨深いものがありますね。