飛鳥寺さんの境内を抜けた先にあります。
飛鳥寺さんの境内を抜けた先にあります。
以前は田舎道の中にぽつんとあった印象でしたが、道が整備されて全体的に明るい印象となりました。
大切にお祀りして後世へ残したいですね。
飛鳥寺の西側に、五輪の塔があります。
この五輪塔は、蘇我入鹿の首塚といわれています。
乙巳の変の時に蘇我入鹿の首がここまで飛んできたといわれています。
飛鳥寺は、蘇我氏のお寺としてたてられました。
飛鳥寺の側にぽつんとある蘇我入鹿の首塚です。
何故ここに首塚があるのか等、詳しいことは飛鳥寺の和尚さんが解説してくれます(要参拝料)。
大化改新で中大兄皇子らに討たれた蘇我入鹿の首塚と伝わる五輪塔。
墓の形態から当時のものとは思われないが、蘇我馬子発願の飛鳥寺の旧境内地に当たることから、後世に供養墓として建立されたものであろう。
今は静かに佇んでいます。
2021年2月下旬の土曜日午後に訪問。
飛鳥寺から散歩がてらに。
歴史上有名な蘇我入鹿の墓です。
周りは田んぼでポツンとあります。
あまりにも無防備にあるのでウケました。
たまたま見つけました。
まぁ現在は墓石が残ってるだけでしょうが…入場料はありません。
大化の改新ではねられた入鹿の首がここまで飛んできたと言われています。
蘇我入鹿は当時は超人扱いされていたようですね。
歴史の大きな舞台となったところですが今はまわりは田畑に囲まれています。
日本最古の大仏様!東大寺の大仏様とは少し違ったお顔立ちで、大仏様を拝見しながらアナウンス放送が聴けます。
境内からすぐの処に蘇我入鹿の首塚もあります。
ここからは蘇我氏の邸宅が有った甘樫丘が一望出来ます。
「首塚」の名称ではあるが、宝篋印塔の形状で、恐らくは墓標。
田畑の真ん中にあり、飛鳥寺の裏手、敷地外80m先にある。
2018 10 20本日、蘇我入鹿首塚にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
綺麗なお花が供えてあります。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔です。
大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれております。
五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられております。
高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴です。
日本最古の仏像は是非見てください。
飛鳥寺(推古4[596]年に蘇我馬子[そがのうまこ]の発願により建立された日本初の本格的な寺院)の境内を西に抜けたところに五輪塔が立っています。
大化の改新の始まりにあたる「乙巳の変(いっしのへん)」の際、板蓋宮(いたぶきのみや)で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿(そがのいるか)の首がここまで飛んで来たと言われる場所になります。
襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたとも言われています。
蘇我入鹿の首塚とは…。
囲いも何もなく今でも雨風に晒されているとはなんともはやの思い。
歴史に逆らうつもりはないが、反逆者は中臣鎌足と中大兄皇子のほうであろう。
その後の民心の離れ具合を見るとそう思わざるを得ない。
蘇我氏を妬んでの暗殺か、改革のための暗殺か、真偽は謎だがクーデターであったことは間違いない。
そんな思いで首塚を見ると感慨深いものがある。
案内板がない、直前にあっても非常に分かりにくいので飛鳥寺を目標に行くといいでしょう すぐ前には飛鳥寺門跡もあります。
道の真ん中にある小さな石塔です。
乙巳の変のときにはねられた入鹿の首がここに落下したと伝わります。
(乙巳の変の現場である板蓋宮とここは500mほど離れています、首飛びすぎだろっ!)
飛鳥寺で蘇我入鹿の首塚があるとお聞きして立ち寄りました。
五重塔の形になってますね。
今はのどかな場所です、歴史の流れを感じます。
歴史に興味がありますが それほどの知識も無く偶然に立ち寄った首塚で有ったのですが 小さい質素な五輪の塔の姿に驚きました‼️極悪非道な増上慢で有ったのか?異文化に理解と敬意を払うイノベーターで有ったのか❓権力を掌握した改革者ゆえにのクーデター【乙巳の変】なのでしょうが❗️「我に如何罪有りや…」シェークスピアの歌劇の様な結末 甘樫丘を背にして飛鳥の野辺に佇む小さい首塚に大きなコントラストを感じるひと時でした。
イルカはという名前は死後、入鹿を蔑む為に付けられたという説もあるそうですが私は好きです、古代史に興味のある方お参りしてあげてくださいm(__)m甘樫の丘を背にして石は立ち 小さき塔よ何を話すや?
飛鳥寺側からの写真なので、写真の後ろが蘇我入鹿の邸宅があった甘樫丘。
甘樫丘の左側、つまり南側の中腹あたりにあったようです。
蘇我入鹿を暗殺して談山神社へ逃げる中大兄皇子と中臣鎌足を、切断された入鹿の首が宙を舞い彼らを追いかけた、との話が残っています。
彼ら二人を見失った首は、甘樫丘にある邸宅に残る父・蝦夷を心配して自分の邸宅をめざしまたが、ここ首塚のあると場所に落下した、との言い伝えがあるそうです。
こんな言い伝えに胸をわくわくしながら、学生時代の私は、この辺をさ迷った記憶を昨日の様に覚えています。
その時は、とても暑い日でした。
今日は、俳句の会です。
蘇我入鹿討たれしところ青嵐と、詠まれた大先輩がいて皆さんと伴に奈良の明日香村を偲びました。
飛鳥寺の裏門からこちらに行けます。
中大兄皇子に首をはねられた蘇我入鹿の首がここまで飛んだと言われています。
が、あっちこっちに飛んでるみたいです。
現代では天皇家の時代しか思いつかないが、過去にはこうした覇者達がいたのだと思うと感慨深い。
ここに西門があったのだとか。
現在は飛鳥寺はこぢんまりしたお寺だが、当時は非常に大きかったようだ。
改めて時の流れを感じる。
こんなところにあったのか。
思わず見逃してしまった。
蘇我入鹿は645年6月12日、飛鳥板蓋宮の儀式の途中、中大兄皇子の剣で急襲暗殺されてしまった。
入鹿の首は数百メートルを飛びこの地に落ちたというのは伝説だが、突然の死に怒り狂った彼の気持ちはわかる。
翌日、父、蝦夷は甘樫丘の自邸で、抵抗することも無く、自邸に火を放ち自害する。
蘇我本家はあっという間に滅んでしまった。
ここから見ると目の前に優美な姿の甘樫丘が見える。
首塚には今でも花が添えられているのを入鹿は知っているだろうか?
田んぼの真ん中にポツンとある塚。
夏や秋の稲刈り前は寺をバックに、非常に良い撮影スポットになります。
撮影にお勧めの場所です。
名前 |
蘇我入鹿首塚 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-54-2362 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
飛鳥寺から目と鼻の先、田んぼをバックに立ちした静かなところに立っています。
飛鳥寺からも首塚まで○mと案内の看板出ています。
蘇我入鹿、何でこんなとこに首塚あるんだろう。