いつ訪れても気持ちの良い場所❗
広々とした場所で、地元の子供達が遊んでいるのをよく見かけます。
公園的な扱いなんですかね。
川原寺(弘福寺)の遺構、天智天皇の御代に斉明天皇の冥福を祈り建立されたと考えられている。
天智天皇の時期に創建された可能性の高い飛鳥四大寺の一つ。
他の寺々が遷都と共に場所を移した中、唯一飛鳥に留まった。
何度か被災・再建が繰り返されたが、室町時代に廃寺になったと推定される。
伽藍配置は一塔二金堂方式の独特なもので、当時の配置は復元された礎石の位置で感じ取ることができる。
なお、中金堂のあった場所には江戸時代に弘福寺が創建され、その境内にある礎石は当時のものである(その他はレプリカ)。
弘福寺は真言宗で、本堂内には弘法大師作と伝わる多聞天・持国天像の他、十二神将像を安置する。
訪れる観光客は少ないが、目に見えないものにこそ飛鳥の息吹を感じ取ってほしいものである。
伽藍の礎石が大きく、当時は立派なお寺だったのでしょう。
夏だったので雑草が繁茂していますが、明日香村は秋に行くのが一番いいと思います。
川原寺跡地に伽藍礎石、タンポポの野原、人も少なくのんびりできます。
飛鳥川沿い桜並木、甘樫丘、飛鳥寺、飛鳥京跡苑池、石舞台地区、橘寺が一望できます。
飛鳥の歴史スポットと自然を遠くから満喫できました。
2019.12.13訪問斉明天皇の菩提を弔い寺院として伝飛鳥板蓋宮跡の西、飛鳥川左岸に建立された。
文武天皇の治世においては、大官大寺、薬師寺(本薬師寺)、飛鳥寺とともに四大寺の一つにとなる。
飛鳥時代を代表する寺院で、堂宇の基壇が復元整備されています。
▪️高松塚古墳やキトラ古墳が発見される半世紀前は、超定番の史跡スポットでした。
子供の頃は礎石や基壇の意味や文化財としての価値も解らず・・・。
写経ができますが、明日香の地を眺めながらできる写経はなんともいえないのかな。
飛鳥の歴史を肌で感じることができるスポットですね。
▪️高松塚古墳やキトラ古墳が発見される 半世紀前は、超定番の史跡スポットで した。
子供の頃は礎石や基壇の意味や 文化財としての価値も解らず・・・。
ここは史跡らしい史跡で、特にミステリー感はありません。
綺麗に整備されていて、かつての伽藍配置がよく分かります。
飛鳥はどこもそうですが、特にこの場所はのどかでとても気持ちの良い場所です。
いつ訪れても気持ちの良い場所❗
(18/05/06)飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院でした。
中世以降衰微し廃寺となりました。
見た目は野っ原、本当は史跡。
伽藍配置は教科書にも載ってます。
斎明天皇の冥福を祈って建てられた川原寺というお寺の跡地です。
伽藍の基礎の後があって大きなお寺だったのが分かりました。
今は真ん中辺りに弘福寺というお寺が建っていて、空海さんが作ったという四天王像の内の2体と、十二神将の像を拝見することが出来ます。
四天王像は見事なものです。
十二神将の像はちょっとユーモラスな感じですね。
お寺の方が丁寧に説明してくれました。
写経体験も出来るそうです。
橘寺と道路を挟んで北側にある礎石は、斉明天皇の川原宮あった場所に天皇が亡くなった後建てられた川原寺の跡だそうです。
大同2年(807)伊予親王の変で,藤原吉子・伊予親王母子は川原寺に幽閉された。
二人は身の潔白を主張したが,11月12日に毒を飲んで自害したという。
万葉集には川原寺を詠んだ歌はないが、「河原寺の仏堂の裏に、倭琴の面に在り」と言う左注付きで載っている次の二首が、川原寺の僧によるものだとされている。
「世の中の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」(万葉集)
在りし日には壮大な寺院だった事が偲ばれます。
橘寺前のひっそりとした場所なので見落とさないようにして下さい。
名前 |
川原寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-54-2043 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
一見地味ですが、プロジェクションマッピングイベントなどもあり、最新技術を取り入れた魅せ方もするなど、色々と工夫をされています。
また、奥にそびえる弘福寺では写経が大人気で、多くの人が来寺しています。