名前 |
保呂羽館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
・葛西氏の本拠となった所である。
もともと古くよりここには登米の豪族「登米行賢」の一族が住んでいた。
前記、寺池城に居た葛西氏が永正合戦で没落した登米氏の古城を拡張し、移り住んだことになっている。
しかし、その年代ははっきりしない。
ともかく、天正十八年(1591)、宗家十七代葛西晴信の時代、一族はこの地に於て滅亡し、翌十九年、葛西大崎の一揆がここを拠点として火の手を挙げたのは間違いない(同年秋、須江山事件を以て終熄)。
「古城書上」には、城主、葛西清重とあり、更に、草長伊豫、伊達若狭の居住を伝えている。
草長、伊達氏は葛西氏以降の人々で、とくに伊達氏とは白石氏のことを意味する。
白石氏も江戸初期一時ここの保呂羽城に住んだようだが、のち屋敷を下の市街地の中(前記寺池城のふもと)に構え、移り住んだ。
ために、この城は完全なる廃城となった。
ちなみに葛西家の菩提寺である「竜源寺」が、この居城の直ぐ下、北面の山裾の中にあり、現在もなお名刹として知られていることを付記しておく - 仙台領内古城・館。