京都市内最古クラスの神社です。
木嶋坐天照御魂神社 (蚕ノ社) / / / .
京都市右京区にある蚕ノ社。
結構栄えている住宅街のなかにあります。
僕の中では京都のなかでも強力なスポットです。
特に境内左側にある稲荷神社と三本鳥居。
陰と陽みたいな感じでタイプは異なります。
稲荷神社はここほんとに行っても良いのかな?というくらいの神気を放ってます。
地のエネルギー多め。
三本鳥居は上にスコーンと抜けるような感覚です。
奥宮との標高差で陰陽を整えることが多いと思うのですが、ここはちょっと変わった形で整えているので面白い経験でした。
木嶋坐天照御魂神社 (蚕ノ社)三柱鳥居があり、ぜひ行ってみたいと前々から気になってた木嶋坐天照御魂神社⛩️スマホの動画が誤操作する程、すごぃPowerがあった神社さんでした😵💫✨御祭神は、造化三神の天之御中主神さま。
椿丘大明神とかかれた場所に入っていくとかなりの空気感!すごかったです✨✨✨そして、三柱鳥居!柵があって近くまでは行けないんですがこちらもPowerみなぎるすごぃ場所でした。
京都市右京区太秦に鎮座する木嶋(このしま)神社。
その創建は古く、平安遷都より前にこの地に勢力を伸ばしていた渡来人・秦氏に由来します。
秦氏は製陶や養蚕・機織などに高い技術を持つ集団。
かつてここに並んであった蚕養(こかい)神社にちなみ、この神社も別名「蚕ノ社」と呼ばれます。
嵐電・蚕ノ社駅の近くに一の鳥居があり、ここから参道が北に延びています。
二の鳥居をくぐった境内は森厳な雰囲気に包まれています。
現在の社殿は明治期の再建ですが、本殿の隣には特異な形をした三柱鳥居が立ち、元糺の池とともに祀られています。
華やかな京都洛中とは全く異なる、この土地に根付いた古い信仰を感じさせてくれる神社です。
由緒ある神社。
無人のようなのでで御朱印は無い。
三柱鳥居は必見です。
竹の垣根で遮られていて近づくことは出来ないところが聖域であることがわかる。
御祭神が造化三神ということも興味のあるひとにはたまらない。
三柱鳥居で有名な蚕ノ社(木嶋神社)に一度訪れたかった。
帷子ノ辻から大映通り商店街から広隆寺経由で蚕ノ社まで歩いてみた。
大魔神、聖徳太子をお参りして、木嶋神社へ訪れた。
嵐山電鉄で2駅だが思ったより距離があり、結構時間が掛かった。
正式には「このしまにます あまてるみむすび じんじゃ」の主祭神は天照御魂神で、秦氏ゆかりの神社であること、この地は元糺と呼ばれ賀茂社との関係があるとのこと。
難しいところまでわかりませんが、複雑な成り立ちと三柱鳥居は何か関連があるのでだろうか?また境内の西側に稲荷神域があり、白清稲荷大神がおわす白青社がある。
厳粛な空気で静まり返る境内は神秘的で、背筋がぴんと反り返る。
地元の方の信心も深く、前を通りかかって、自転車を停め拝む方や長時間神社で佇む方もお見かけした。
三柱鳥居は聖域で近くにも寄れなかったので、柵ごしでのお参りとなったが、独特の空気感は上代を思い起こさせる。
その場所に赴かないと感じられないと実感した、ミステリアスなパワースポットだった。
小説「アマテラスの暗号」を読んでいた時に登場した神社です。
造化三神の一つである天之御中主神を御祭神とする由緒正しき神社です。
私が参拝した時は社務所は閉まっており、御朱印やお守りは頂けませんでした。
おみくじは自動販売機で購入でき、初穂料は100円です。
京都三珍鳥居の一つである三柱鳥居は手前に柵があり近づく事はできません。
御朱印もお守りもなく最近流行りのインスタ映えする要素はありませんが、元糺の森に囲まれ、空気も澄んでとても雰囲気の良い神社です。
本当のパワースポットとはこういう神社を言うのでしょう。
参拝日:2024年(令和6年)4月14日(日)
嵐電天神川と地下鉄太秦天神川からほど近い、住宅街の中にある神社です。
周囲とは違い鬱蒼と木々が生い茂り、身が引き締まるような空気が漂います。
お守りなどを授与する社務所などはありませんが、きれいに手入れされています。
また参拝している間に幼い子供を連れたお母さんがわざわざ自転車から降りて鳥居前で頭を下げていたり、親子で訪れる人が多かったので地元の方の崇敬を集めているのが分かりとても印象的でした。
駅からもアクセスが良く、直ぐ近くにはコンビニもあります。
京都市の西、太秦の方鳥居入口前にセブンイレブン有りますがその隣1時間200の駐車場ありそちらの方が1500年位由緒ある神社ですが詳しくは説明板を自分としては承久の乱で反北条反幕府を貫き此処で自害したと伝わる三浦胤義父子の痕跡を探したのですが稲荷神社はあっても大河ドラマ草燃えるではシルバー仮面の柴俊夫さん、兄三浦義村藤岡弘仮面ライダーと狙ってたんでしょう。
三浦半島に遺した幼い子供達も斬られたという話と宝治合戦で自害と2説有ります。
それとは別に三角形に鳥居が組まれた珍しい場所が立入禁止ですがネストリウス派キリスト教景教の影響とか。
清澄な雰囲気で満たされている秦氏ゆかりの神社です。
有名な三柱鳥居が境内の向かって左側の「元糺(もとただす)」にあります。
この鳥居はその形だけでなく、鳥居の柱が八角形なところも注目しておくといいと思います。
ここの近く、広隆寺の東北にいまします大酒神社(同じく秦氏ゆかりの神社)の鳥居も柱が八角形です。
渡来系氏族というだけではなく、ユダヤ系だとか古代イスラエルの失われた十支族との関連などが云々されている秦氏ゆかりの神社のあり方には興味を抱かざるを得ません。
一度は参拝したいと想っていました、「三柱鳥居」が有名な木嶋神社、別名 蚕ノ社に寄りました。
境内の元糺の池の辺りに摩訶不思議な三角の鳥居は何ともパワーを頂ける感じがしました。
神社は養蚕、織物、染色の守護神を祀った蚕養神社と謂われており、其が蚕ノ社に繋がる由縁です。
(因みに御朱印はありません)
住宅街にある神社です。
周りは交通量もあったりしますが神社はとても静かで人も少ないです。
駅からも近いので利便性も良いいです。
三柱鳥居が有名で今は仲間で入れませんが近くで見ることは出来ます。
式内社、名神大社。
平安時代に既に名の残る、何なら創建は更に前な、由緒正しい神社。
お近くの仁和寺の九所明神では、上賀茂下鴨八坂松尾等のビッグネームと並ぶ一座として祀られるお社。
木々に囲まれた静かな神社で、パワースポットやら、心霊スポットやら言われるが、訪れる人が少ないから、結果としてそう見えるだけだと思う。
社殿類は明治に入ってからのものとのこと、文化財としては余り見る所は無い。
境内左奥に京都三珍鳥居の一つの三柱鳥居がある。
地形的に湧水池の真ん中にあったものに見えるが、水はすっかり枯れている。
満々と水を湛える池の真ん中に立つ鳥居を想像しそれと現物を比べると、神秘的というより、少し寂しい。
まあそんな感じで個人的に満点とは至らないが、なんのかんので京都らしい神社の一つなので、京都穴場巡りの更にその一周後ぐらいに訪れる価値はある。
通称木島神社或いは蚕ノ社呼ばれ、太秦・嵯峨野一帯は古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織にすぐれた技術を持っていた秦氏の勢力範囲です。
延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂命・穂々出見命・鵜草葺不合命・瓊々杵尊)を祀っています。
創建年代は不明ですが、続日本紀に神社名が記載されています。
木島坐天照御魂神社が正式名称です。
嵐電蚕ノ社駅が最寄駅です。
「木嶋坐天照御魂神社(このしまいますあまてるみたまのかむやしろ)」は、「太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)」とともに、この「葛野(かどの)」を開発した渡来人豪族「秦氏」のものです。
〇御祭神五柱・天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)・大国魂神(おおくにたまのかみ)・穂々出見命(ほほでみのみこと)・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)神社名から「天照御魂神(あまてるみたまのかみ)」を祀った神社であるはずです。
この神は、尾張氏の祖神「天照国照天火明命(あまてるくにてるあまのほあかりのみこと)」とも考えられていて、皇祖神「天照大神」とは別の神です。
そして、「秦氏」の祖神でもありません。
〇「蚕の社」参拝所(拝殿)の奥にある「本殿」の横にある「東本殿」は、「蚕養(こがい)神社」という「養蚕」と「錦(にしき=絹織物)」の祖神を祀ったものです。
「秦氏」が伴ってきた「漢織(あやはとり)」「呉織(くれはとり)」の女神と言われています。
「蚕の社」の名前はこれに因むものです。
「東本殿」の前の玉垣には「西陣縮縮緬仲間」と刻んだ石柱が埋め込まれていました。
〇「元糺(もとただす)」行ってみますと、そこには「三本足鳥居」が建つ「泉池(せんち)」とその水をひいて「禊場(みそぎば)」の石敷きがありました。
よく見ると「三本足鳥居」は「泉池」の真ん中の泉が湧き出ていたところに立てられた「幣(ぬさ)」を囲んでいました。
そのことから「三本足鳥居」は「水神」を祀ったものであると思いました。
(「景教(けいきょう=キリスト教ネストリウス派)」の遺跡との説は違うと思いますし、「スピリチュアル」のいう得体のしれない「パワースポット」というのでもありません。
)平安京の京域の東、賀茂川と高野川の合流点のところにある「糺の杜」はこれを遷したものと言われています。
そこでの「禊」の「夏の祓(なつのはらえ)」は有名ですし、「御手洗川(みたらいがわ)」に因んだ「みたらし団子」は日本中で食べられてもいます。
「秦氏」と「賀茂氏」は、関連性が強く、伝承には「賀茂氏が、秦氏に婿入りして、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷命」が生れたというものがあり、それが「糺の杜」が遷されたことと関連していると言われています。
また、「秦氏」のもう一つの氏神「松尾大社」の祭りの「葵祭」は、やはり賀茂氏の氏神「下鴨神社」でも執り行われています。
(「松尾大社」の「御神紋」は、この神社と同じ「双葉葵(ふたばあおい)」です。
)〇「木嶋大路」地図を見てみますと。
この社の南には54mの幅でほぼ直線状に長く家々のまとまりが続いているように見えます。
京都大学の教授であった足利健亮氏の著書「地図から読む歴史」(講談社学術文庫)によると、それこそが、「平安京」の計画の基準になった「木嶋大路」であると言います。
「木嶋大路」と西堀川、西堀川と東堀川(堀川通)、東堀川と鴨川とのそれぞれの幅が等しいというのです。
また、「平安京」の「四神相応」は、北の「玄武(黒)」は「船岡山」。
東の「青龍(青)」は「鴨川」。
南の「朱雀(赤)」は、横大路朱雀に存在していた「横大路沼」。
そして、西の「白虎(白)」はよく言われる「山陰道」は、京域の南端の羅城門から出て、作り道を通り、大きく回り込むのでこれではなく、この「木嶋大路」であると主張しています。
別名「蚕ノ社」と呼ばれる「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社」。
その名の由来は、境内に蚕をまつる「養蚕神社」があるためと言われている。
本殿西に建てられているのは京都三珍鳥居の一つ、三柱鳥居。
三つの鳥居を正三角形に組み合わせた形が特徴だ。
現在は柵などで囲われているため近づくことはできないが、以前は三方向から拝めるようになっていたという。
京都市右京区(きょうとしうきょうく)は太秦(うずまさ)エリアにある、京都市内最古クラスの神社です。
別名「蚕ノ社」と呼ばれる「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社」。
その名の由来は、境内に蚕をまつる「養蚕神社(かいこじんじゃ)」があるためと言われている。
本殿西に建てられているのは京都三珍鳥居の一つ、三柱鳥居。
三つの鳥居を正三角形に組み合わせた形が特徴だ。
現在は柵などで囲われているため近づくことはできないが、以前は三方向から拝めるようになっていたという。
知る人ぞ知る京都のパワースポット。
オカルトマニアでなくとも興味深いユダヤの同祖説等にも加担する歴史的な建造物が現存している。
まるで観光化されておらず是非ともこのまま神秘のパワースポットであって欲しい。
歴史的な神社の維持は半世紀単位で計ると、とてつもない費用がかかる。
その費用の捻出の為に観光化するのではなくこれだけの歴史的背景を利用しない手はないので、誰かストーリーを考えてほしい。
ほとんど人が居なくて、静かで 蜜を感じずに過ごせました。
ここにしかない、三柱鳥居も見ることが出来て良かったです。
人気の観光地へ行かずとも、歴史深い京都は楽しめますね。
中規模の神社ですが、宮司不在で御朱印は受領出来ませんでした。
珍しい3本鳥居があります。
秦氏ゆかりとされる神社で一見何処にでもありそうな村社なのですが、氏の本拠地の一つだった太秦だけにオリジナル感たっぷりです。
特に湧き水の出ている所をぐるっと囲った三柱鳥居は必見です。
此方を真似て水場で無い所に鳥居を建てていた神社で三柱鳥居のくぐり方なる物が書かれていたのを目にしていたので鳥居の本来の目的である神聖な場所に結界を張る用途で建てられていたのが印象的でした。
また平安京に合わせて建てられた賀茂神社のモデルとも呼ばれる神社ですので小川があったり杜があったりと何処となく雰囲気が似ています。
上賀茂、下鴨神社よりもさらに本家本元の秦氏の総氏神。
観光客はほとんど来ないがスーパーパワースポット。
ここの御神籤で自分の人生がドラマチックに好転した(個人の感想です)。
桂川が暴れる京都盆地に葛野大堰(かどのおおい)をつくり水を治めた秦氏。
山城国の太秦に拠点をおいた。
蚕ノ社はその中心にある。
秦氏は元はバイカル湖周辺にあった月子国のいたとか。
秦の始皇帝の長城の苦役から逃れるため、一族を率い朝鮮半島南端まで下る。
応神天皇の頃、147県(数万人)を率いて海を渡り、北部九州、中国、四国地方からさらに畿内に移住した渡来人。
桓武天皇の平安遷都に莫大な資金を供出し実現をサポートしたとか。
養蚕、土木建設技術など高度なテクノクラート集団。
三本鳥居が三位一体を表すとも言われる。
秦氏は景教徒(原始キリスト教徒)であったとも言われ、蚕ノ社の真西にある秦氏創建の広隆寺は元は仏教寺院ではなく景教寺院であったとも言われる。
京都の中でも、古い神社とか。
雰囲気いいですが、神社経営は、してない感じでした。
御朱印なし、御祈祷なし、御守り販売なかったです。
でも、いい感じの神社でしたので、是非に。
御祭神:天之御中主神/大国魂神/穂々出見命/鵜茅葺不合命/瓊々杵尊創建は不明ですが、一説では推古天皇12年(604)の広隆寺創建に伴い勧請されたと伝えられています。
また、史料からは大宝元年(701)以前の祭祀の存在が認められており、延喜式神名帳にも記載があります。
嵯峨野、太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、当社も秦氏ゆかりの神社と言われています。
また、現在本殿の東隣に鎮座する蚕養神社は、この秦氏が招来した養蚕・機織・染色技術に因むとも伝えられています。
この事から、当社は蚕ノ社と呼ばれ崇敬されています。
拝:2020/10/31
京都の古社。
境内にある三柱鳥居は日本で唯一のものとか。
パワースポットのようです。
きしま にます あまてるみたま概略:この神社は続日本書紀にも701年の条に神社名が記載されておりその歴史相当古いものになります。
この地一帯は朝鮮渡来人により優れた技術(養蚕、製陶、機織)をもたらされた地であり秦氏の勢力圏であったそうです。
無料の駐車場があるみたいですが、見つからなかったので近くの駐車場に停めました。
木嶋神社(蚕ノ社)は始皇帝の末裔の秦氏が織物などの産業を行っていたので 蚕ノ社と呼ばれるようになったみたいです。
三本鳥居よりも直ぐ横にある稲荷神社の方がパワー?があるみたいです。
僕は何も感じませんでしたが、新緑で緑も綺麗でとても心が清められた感じはしました。
駐車場はありませんでした。
ので、近くのコインパーキングに止めたので、大鳥居から参拝できました。
「北斎漫画」十一集「三才鳥居」に描かれている有名な三柱鳥居が見たくて行ったのですが、近くには行けませんが。
今は枯れているのですが、鳥居の下には湧水で満たされていたのだそうです。
その姿も綺麗だろうと、想像しながら。
その隣のお稲荷さんはとても力強い感じでした。
地下鉄東西線「太秦天神川駅」を出て嵐電(路面電車)添いを北へ歩いて行くと大きな鳥居⛩があります。
何組かの参拝者に付いて行きます。
10分もかかりません。
まさに氏神さんでおみくじの機械しか有りません。
本当に綺麗にされていてゆっくり出来ます。
有名な鳥居は鈍感な私でもわかる力に溢れています。
お稲荷さんはちょっと怖かったです。
一般的には「蚕の社」として親しまれていますが、正式には「木島(このしま)神社」と呼ばれています。
蚕の社が位置する太秦から嵯峨野一帯の地域は、平安遷都以前から渡来人の秦氏があらゆる産業を開発し、定着させた地域であり、秦氏の最大の貢献は養蚕を広めた事です。
日本に於いては、この太秦一帯の地域を源流として養蚕が広まっていったと考えられており、その功績を今に伝えているのが、蚕の社とされており、歴史を感じさせてくれる神社です。
本殿に向かって左には、「元糺の池」、更にその奥には正三角形に組み合わされた珍しい三柱鳥居が有ります。
独特の素晴らしい雰囲気を体験出来る由緒有る神社です。
京都でも最古とされるほどの歴史を刻む神社。
観光化されることなくこの社は、地に根ざした鎮守さまとしてひっそり佇む。
手入れの行き届いた境内は、特別な神聖さを保っている。
三角鳥居が特に注目されもするが、元糺の池と称されるかつてはこの鳥居を水面に映すほどの水を貯えていた神池も、今は地肌を見せる。
凛とした長寿の木々から注ぐ木漏れ日がこの神社の持つ神々しい様を一層際立たせている。
三本柱の鳥居が立っている神泉には全く水がなく、境内にはなんの説明もない。
地元の人がいらっしゃったのでたずねてみると、京都市の下水道工事のために水脈が断たれて枯れてしまったとか。
もし本当ならとんでもないこと。
古代から枯れることなく豊かな湧水で有名な神泉を現代人の利便性のために破壊してしまったとは。
もしかしたらこの神社には人間の所業にあきれてもう神さまはいらっしゃらないかもしれない。
嵐電の蚕ノ社駅から5分余りのところにあります。
駅名にもあるようにこの神社は蚕ノ社と呼ばれています。
平安京以前から存在していた京都でも長い歴史のある神社の一つです。
この神社には全国でも珍しい三柱鳥居があり、厳かな雰囲気です。
日本でも上位に入る古い神社。
あまりのも古くて、最初に祭られていた神様が不明。
有名な石造りの三本足鳥居があるが、小さい。
通称蚕ノ社。
京福電鉄の最寄りの駅も蚕ノ社駅。
駐車場はなく、徒歩で参拝お勧め。
住宅地にも関わらず、蚕ノ社、天塚古墳、蛇塚古墳などといった歴史的に非常に重要な遺跡が無料で拝観できる太秦の懐の深さを感じる。
但し、今あげた三つは、いずれも観光客向けというよりは深く京都を楽しむ人向けのスポット。
個人的には星5つだが、あまり観光客に来て欲しくない良いスポットなのでこっそり星3つに。
なぜ三柱の鳥居なんでしょうか???創建時、土地の条件が極度に悪く安定性が欲しかったから???(今、突如思いつきました)
珍しい鳥居があるときいて訪れました。
三本の鳥居の前は柵がありはいれませんが清々しい空気で観光客がいなく静かな神社でした。
だだ、入口付近の稲荷さんが奉ってありそこに踏み入れると空気が重くひんやりとした風がスッと通りました。
霊感は全くありませんがこの時は身を引き締めお参りいたしました。
訪れるのは良いですが遊び半分で行くのはオススメ出来ません。
木島(このしま)神社・蚕の社(かいこのやしろ) /平安京の造営に大きな役割を果たしたとされる秦氏。
5世紀頃、朝鮮半島(新羅)より渡来し、さまざまな文化・技術を伝えたとされる。
その活動の中心となったのが現在の京都市右京区太秦である。
雄略天皇の頃、秦氏が絹をうずたかく盛って献上したので、天皇より「禹豆麻佐(うずまさ)」の姓を受けたといわれ、地名もそれに由来している。
四条大宮から京福電車(嵐山線)に乗り十数分、「かいこのやしろ」という駅がある。
そこから北へ3分ほど歩いたところに木島神社の鳥居が見えてくる。
この神社は秦氏によって創建され、養蚕(蚕の繭から絹糸を取る)技術のあった秦氏にちなみ、後に通称「蚕の社(かいこのやしろ)」と呼ばれ、駅名にも使われることになった。
かつては「稲荷も八幡も木島も、人の参らぬ時ぞ無き」(梁塵秘抄)とあるように参詣者の絶えることがなかったようであるが、今では住宅街の一角にひっそりとしたたたずまいを見せ、訪れる人の数も少ない。
秦氏にゆかりの深いこの地に、京都の源流を感じることの出来る古い社である。
写真は拝殿。
徒歩で行ってきましたバイク、車は置く所がありません。
有名な三本足の鳥居を見てきました。
社務所は閉じられていて呼び鈴等はありません、残念です。
滞在時間は15分ほど。
2台駐車可と書いてあるサイトもあるがないと思ったほうがいい。
お近くのパーキングか神社の前のセブンイレブンで買い物をしてお客になって停めるとか(あまりよくないが)した方がいいかも。
保育園の子供たちの遊び場になっていてほっこり地元に愛されている神社だなと感じました。
三柱鳥居にも会えて満足。
神社の雰囲気も陰と陽が感じられ素晴らしかった。
名前 |
木嶋坐天照御魂神社 (蚕ノ社) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-861-2074 |
住所 |
|
関連サイト |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=290 |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ
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静かな良い場所でした。
私が無知なだけだったかもしれませんが、地元の方らしきおじいさんから注意を受けたので、念の為投稿のしておきます。
三柱鳥居の柵の正面の1番下の段には降りてはいけないそうです。
お賽銭箱の前辺りで参拝するのがよさそうです。