9/30(金)今日の三ヶ所目は難所でした。
長谷堂観音( 長光院) / / / .
2023年7月中旬に訪れました。
紫陽花の花が終わりかけの時期でした。
9/30(金)今日の三ヶ所目は難所でした。
小高い長谷堂の山、ナビでも場所が分からず苦労しました。
西向駐車場に駐めましたが、もっと近い所があるかもしれません。
御朱印所と本堂が随分離れて、かなり山歩きしました。
しかも暑くて汗だくです。
でも頂上の公園は整備され、彼岸花が咲き揃っており、山形市内を見る景色は素晴らしかったです。
次の札所で、長谷堂に行けたらどこでも大丈夫ですよと言われ自信にもなりました。
ここの、観音様参りは、難所って言われてましたが、ゆっくり🐌💨💨休みながら、お参りして来ました❗️
今年、最上三十三観音霊場がご開帳なので巡礼して来ました。
いい運動になりました😄
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。
コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。
長谷山長光院といい真言宗醍醐派のお寺になり、観音霊場第十二番札所になります。
観音堂の中でお勤めをしました、別称で長谷堂観世音と呼ばれています。
小高い山の中腹に建っている長谷堂観世音は、米沢の上杉景勝軍と山形の最上義光軍が戦った「出羽の関ヶ原」として知られる場所にあます、通称「城山」と呼ばれている長谷堂城の跡地にあります。
創建は慶長三年(1598年)源頼義が奥州討伐の前九年の役(1051年~1062年)で戦いに勝利し、都へ帰る途中に仏のお告げを受けこの地に御堂を建てたと伝えられる。
その時に御本尊として奉納された観音像は、頼義が守護仏として兜の中に納めていた大和長谷寺の観音像であった。
このことがお寺の山号となり、この地の地名の由来ともなっている。
御本尊は行基作と伝えられるわずか一寸八分(約五cm)と小さい十一面観世音菩薩で、高さ一mの木像の胎内に納められいまなお大切に祀られている。
御堂は嘉永元年(1848年)に火災にあって焼失したが御本尊は無事で、この地を厚く信仰していた時の山形城主秋元但馬守が再建し、火災から三年後に御堂を復興した、その時の御堂が今に至っている。
観音堂入り口と、御朱印所の間の橋が災害復旧工事のため通行止めでした!令和3年7月30日までとのこと。
北側から周るしかなく、お参りしたら、ぐるっと回って御朱印をもらうしかないと思います!
行くまで昇り景色はいいです。
観音めぐりの 始まりです👌 まだ 9箇所です👍
城山の中腹にある観音堂までは参道口から15分くらい要します。
春にはとても美しい枝垂れ桜に出会えます。
長谷堂観音口には鮮やかな朱色の鳥居や信者達の手によって敷かれた石畳がございます。
お堂に貼られている沢山のお札が、人々の信仰の厚さを物語っております。
三十三観音の中でも、一番歩くコ―スです。
彼岸花が、とても綺麗に咲いていました。
山が萌えているようでした。
解りにくい場所です。
専用駐車場等は有りません。
旧街道の名残りが確認出来ます。
良い場所と思います。
長谷堂観音口には鮮やかな鳥居や信者達の手によって敷かれた石畳がございます。
源頼義が奥州の賊伐するに際し、大和の長谷寺の十一面観世音を守護仏として、自分の兜の中に収めて来た。
賊を討って都に帰るとき、「我れを永く此の地に止めて祀らしめよ」という観音の霊夢があり、頼義はここにお堂を建て、持ってきた仏像を安置したのが始まりという。
名前 |
長谷堂観音( 長光院) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
023-688-5901 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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山形県山形市長谷堂、標高229メートルの小高い山の上に在る最上三十三観音、第十二番札所長谷堂、アクセスには登れる場所が3ヵ所在り、朱印所の長谷堂別当、長光院向かい側の2〜3台程駐車出来る駐車場側から登る事が出来ましたが、2023.8月には橋が工事中で橋内側に山をぐるりと回った山の縁に防火水槽の様な所在りますので止めると長谷堂参道側から登れます、長谷堂城跡にはその他に大きめの駐車場が2ヵ所在りますが御堂までは遠いと思います山形県山形市長谷堂、標高229メートルの小高い山の上に在る最上三十三観音、第十二番札所長谷堂、アクセスには登れる場所が3ヵ所在り、朱印所の長谷堂別当、長光院向かい側の2〜3台程駐車出来る駐車場側から登る事が出来ましたが、2023.8月には橋が工事中で橋から内側に山をぐるりと回った山の縁に防火水槽の様な所在りますので止めると長谷堂参道側から登れます、長谷堂城跡にはその他に大きめの駐車場が2ヵ所在りますが御堂までは遠いと思います。
良く見ると至る所に案内看板あります、どの様な寺院、御堂かと調べて見ました、最上三十三観音霊場、第十二番札所、源頼義が奥州の賊伐に際し、大和の長谷寺の観世音を守護仏として、自分の兜の中に収めてきた。
やがて、賊を討って都に帰ろうとしたある夜、観音の霊夢を感じた。
それは「我れを永く此の地に止めて祀らしめよ」というものであったため、頼義はここにお堂を建て、持ってきた仏像を安置した。
地名や山号である長谷堂、長谷山は、大和の長谷寺から生まれたものである。
嘉永元年、火災のためお堂は灰になったが、尊像だけは時の住職や信者の手で取り出され、一時、米沢に移していたが、仮堂が出来たので翌年帰山した。
時の領主、秋元但馬守は、深くこの観音を信仰し、立派なお堂を再建し現在に至っている。
境内には秋元氏の碑が建立されている。
別当長光院の方は目が不自由な為ご自分で朱印を押す事になります、墨書きは出来ませんので他の札所で貰えます(どの札所でも書いて頂けます、好みの朱印所で頂いて下さい、私は三十一番札所浪高山 東善院光清寺で頂きました)料金も釣銭無い様ご用意下さい、迷った方は、最上三十三観音札所別当会に連絡して見て下さい。
歴史的建造物、仏閣神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、山登り、最上三十三観音霊場巡り、三十三観音請願成就、山形県山形市観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。