名前 |
洲崎山二号古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
三河湾に面する幡豆町には、六〜七世紀の古墳が二十二基存在していますが、この遊園の中には、そのうち七基があります。
これらは、洲崎山地区に五基、蛇山地区に二基分布していて、すべて、六〜七世紀の古墳時代後期の円墳です。
古墳時代前期には豪族の墓として大きな古墳が作られましたが、後期にはいると一般の裕福な人人もこうした、小型の古墳を作るようになりました。
昭和四十六年 洲崎山地区の四基の古墳が発掘調査され、一号〜四号古墳と名付けられました。
この二号古墳は、千三百年ほどまえ(七世紀後半)の古墳で、死者を葬るために作られた石室は、柱石を立てて部屋を区切り、通路(羨道という)と前室と奥室にわけられています。
こうした形は、この地方に多く、複室型の横穴式石室といいます。
なお、この調査で、古墳の周囲には土留めのため、石が並べられていることがわかりました。
昭和四十九年十月 愛知県。