大和国に置かれた六御県(高市・葛木・十市・志貴・山...
磯城瑞籬宮趾にある建物は志貴御縣坐神社だそうです。
この建物以外は広場があるのみの閑散とした場所です。
大神神社⛩さんの東にありて古代大和王権の要所なり。
十代ミマキ(崇神天皇)の世の、3年(アスス623年)のナツキ(9月)にシギのミツカキ(桜井市金屋)にニイミヤコ(新皇居)を開かれました。
ホツマツタヱ33アヤ『カミ(祖先)アガメ ヱヤミ(流行性疾病)タス(直す)アヤ』に典拠あり。
(C) 池田 満日本ヲシテ研究所 「ヲシテ文献 大意」 解説文より。
実在性のある天皇の宮跡とすれば感慨深いものがある。
午後から夕暮れ時に訪れると独特の雰囲気に包まれます。
志貴御県坐(しきのみあがたいます)神社は、三輪山の西南麓に南面する旧村社で、大和国に置かれた六御県(高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布)の一つです。
御県坐神社とは、朝廷に献上する為の野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神として祀る神社といわれています。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、あるいは志貴連の祖神である天津饒速日命(あまつにぎはやひのみこと)など諸説があります。
当社の初見は、天平2年(730)の大倭国正税帳の「志貴御県神戸・・・」であり、遅くとも8世紀初頭には存在していたと思われます。
境内の一角には「崇神天皇磯城瑞籬宮趾」(すじんてんのう しきみずがきのみやあと)の石碑が建っています。
当地を磯城瑞籬宮趾とするのは、江戸中期の史書である大和志(1736年)に、「三輪村東南志紀御県神社西に在り」と記されていることにありますが、その根拠は不明です。
いずれにせよ、このあたりは奈良盆地を見渡す場所に位置する交通の要所であり、古代大和王権、発展の拠点ともなった地域といえるらしいです。
近くには金谷の石仏があります。
第十代、崇神天皇の皇居跡と伝えられています。
現在は志貴御縣社となっています。
崇神天皇 第10代天皇記紀に伝えられる事績の史実性、先帝達と繋がる系譜記事等には疑問もあるものの、3世紀から4世紀初めにかけて実在した大王と捉える見方が少なくない。
初代神武天皇とそれに次ぐ欠史八代の天皇達の実在性が希薄であることから、この崇神天皇をヤマト王権の初の天皇と考える説が存在し、また記紀に記された事績の類似と諡号の共通性(後述)から、神武天皇と同一人物とする説もある。
在位期間 崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日 先代 開化天皇 次代 垂仁天皇 陵所 山邊道勾岡上陵 別称御間城入彦五十瓊殖天皇・御肇國天皇・御眞木入日子印恵命・所知初國御眞木天皇・美萬貴天皇 父親 開化天皇 母親 伊香色謎命皇后 御間城姫 子女垂仁天皇・彦五十狭茅命・国方姫命・千千衝倭姫命・倭彦命・五十日鶴彦命・豊城入彦命・豊鍬入姫命・大入杵命・八坂入彦命・渟名城入媛命・十市瓊入媛命 皇居磯城瑞籬宮。
名前 |
磯城瑞籬宮伝承地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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