旧塩原御用邸、資料も見学出来なかなか良。
旧塩原御用邸(現在は廃止)の御座所を移設し展示している公園施設。
明治から昭和にかけて天皇家ゆかりの地として栄枯盛衰を味わい、時代を跨いできた歴史を感じることのできる展示、構造となっています。
入園料は大人200円。
現代とは比較もできない激動の時代を、皇族を介して感じることのできる貴重な場所でもあります。
御用邸だったところの一部の建物を移築したところ。
豪華というわけでは無いが、静寂の中で美しい鳥の声が響く。
紅葉が終わりかけだったが、それでも美しかった。
昭和56年に栃木県有形文化財の指定を受けた建物。
落ち着いた雰囲気が紅葉と相まって、心を落ち着かせてくれます。
近くに5台ほどの駐車スペースあり。
入園料は200円です。
天皇の間記念公園の駐車場裏が塩原溪谷歩道の入口になっています。
天皇の間記念公園の説明は以下の通りです。
天皇の間記念公園は、かつて塩原福渡の地にあった「塩原御用邸」の「天皇の間(新御座所)」を、昭和56年に原形のまま移築し保存したものです。
明治35年に初めて塩原へ行啓された当時の嘉仁皇太子殿下(後の大正天皇)が、その豊かな自然や気候、温泉などをお気に召されたことから、当時福渡に別荘を構えていた那須野が原開拓の祖 三島通庸県令の嫡男弥太郎が別荘を献上をしたことで塩原御用邸は誕生しました。
明治から昭和にかけて、大正天皇、昭和天皇、高松宮殿下、三笠宮殿下など多くの皇族の方々が避暑地として訪れ、戦時中には疎開の地としてもご利用されました。
木立の中にたたずむ「天皇の間」は、そのたたずまいにかつての皇室の別荘地としての往時を偲ばせています。
塩原街道の整備に尽力され、塩原御用邸として別荘を献上した弥太郎氏の父親、三島通庸氏には、国道400号線をクルマで走る時、感謝の気持ちでいっぱいになります。
三島通庸は前衞的な県令として知られ積極的に西洋技術を導入し、赴任した県には建築や土木事業で大きな功績を残しています。
明治17年、半ば強引な手法を取った事から住民とのトラブルも絶えず、政敵との闘争も激しいものがありました。
しかし、通庸が計画したインフラ整備は地域の経済活動を活発化させ、住民達の生活の向上にも大きく寄与しています。
福島県令時代には那須野ヶ原の開墾に力を入れ、その一環で計画された塩原街道(三島~古町:19.4キロ)は自ら陣頭指揮を取り、栃木県令時代には西那須野から塩原、更に会津に通ずる今の塩原街道を開削しました。
塩原温泉の湯治客も江戸時代の6千人余りが明治30年代には3万人を越えるなど人や物資の移動が活性化しました。
又、明治36年(1903)には別荘を皇室に献上し、それが発展し塩原御用邸となり塩原温泉の名声をおおいに高めました。
旧塩原御用邸より移築された ”新御座所” を拝観することが出来る公園です。
とても素晴らしい建築物で、当時の建築技術の素晴らしさを垣間見ることが出来ます。
廊下回りの ”すっきりとした” 構造は現在の建築には無い清々しさを感じます。
雨戸を閉める際に、隅の柱の所での雨戸の取り回し方は、施設の女性に実際に見せていただき、とても感動しました。
ガラスなどは当時の手作りのガラスの為、横から見ると歪んで見えます。
各所に使われている金具、古い電気のスイッチ、建具の造作などはとても素晴らしいものがあります。
あまり知名度が高くないようで、とても空いていて、ゆっくりと拝見することが出来ました。
ちなみに、あまり知られていないようですが、”紅葉”の名所でもあるようです。
温泉が湧き箒川の渓谷美に恵まれた塩原の地を愛されていた大正天皇が、ここに御用邸を構えられて以来、昭和天皇と弟君である秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下をはじめとした皇族方は、夏の避暑地として塩原御用邸を良く利用してきました。
その御用邸の御座所が、この公園内で保存公開されています。
特に三笠宮殿下は「少年の日の夏の思い出=塩原御用邸」で、感慨深い場所だったようです。
本来の御用邸のあった場所はここではなく、公園前の塩原街道を降った所にある塩原視力障害センターの跡地です。
今は老朽化したセンター建物が撤去され更地となっていて、御用邸当時を偲ぶものは入口の黒い冠木門と石垣ぐらいしかありませんが。
戦後の皇室財産の整理で、御用邸は内務省に移管され視力障害者支援施設として使われるようになりました。
その後のセンター施設の拡充で建物は撤去される事になったのですが、地元の誇りであった御用邸建物の保存を求める声は強く、御座所のみが昭和56年にここに移築された、という訳です。
御座所は皇室が使用される家屋なので、一般とは異なる特有の構造を持っています。
すぐに気がつくのは外と生活空間である部屋の間が、赤絨毯敷の板縁と畳敷の廊下とで二重に隔てられている事です。
畳敷廊下を使えるのは身内か賓客だけです。
その他に防犯上の理由もあったとされます。
これは他で公開されている沼津御用邸も同じなので、皇室建築のスタンダードなのでしょう。
あと伝統的日本家屋は風通しを良くし湿気がこもらないようにするため、床下は通常は開放されているのですが、防犯対策で塞がれ塗り込められてしまっています(写真参照)。
わざわざココに忍び込んで不敬をはたらく人間がいるとは考えにくいですが(笑)。
派手で下品な装飾は一切無く、落ち着いた慎ましやかな佇まいはさすがです。
ベルサイユ風の豪華さを期待してガッカリする人もいるようですが、真の良家はそんな家には住まんのです(笑)。
地味なようでも、よく見れば最上の部材を用い最高の加工技術で施工されているのが分かると思います。
滑りを良くするための敷居の樫の埋め木や窓のレールの水抜きに精密な職人芸が見て取れます。
「恐れ多くも畏くも」(最高敬語)かつては超VIPしか出入り出来なかった場所にいるのですから、賓客気分を大いにお楽しみください(笑)。
野鳥が受付付近で、出迎えてくれました❤️手のひらに餌を乗せておいでをすると、手に止まり餌を食べてくれました❤️
閑静な佇まいのとても良い所。
秋がお勧めと思いました。
他場所にあった塩原御用邸の一部を移設他の見学可能な御用邸と比較すると、その規模はかなり小さく、はるばる来て肩透かし感は否めない。
券売の窓口にヒマワリの種を盛った皿が置いてある。
10羽ほどのヤマガラが交互に飛んできて咥えていく。
券購入のわずかな時間に相当数来たが、さすがにその1メートル手を伸ばすことはできなかったが、カワイイ姿は間近で見ることができた。
駐車場は4台程度の狭いものです。
入場料はペットボトル1本程度ですから、充分な見応えを感じられる場所だと思います。
受付のおじいさんがとても丁寧。
しかし肝心の館内は見る所がちょっとだけ。
10分で終わってしまった。
明治、大正、昭和と皇族の方々の避暑地として利用されました旧塩原御用邸を移築保存したそうです。
初夏から夏は緑色の木々が鮮やかです。
秋は紅葉で映えますね。
静かな所です。
👒🌳🍁🍂
とても静な佇まいで、こじんまりとした場所ですが中にある展示物を拝見すると皇室と塩原のかかわりが古くからあり天皇となられてからも塩原の地をいかにも愛されていたかが良くわかりました。
駐車場には昔懐かしいポストがあり思わず写真を撮りました。
古の世を生きた天皇が一時を過ごした舘が今も残され 庭園も奇麗に整えられ、この場所で幾時癒やされたのだろうと感慨深いものがあります。
それと 野鳥が受付の方に懐いていて直接手から餌を食べるのには驚きでした。
😲
栃木パスポートやおもて那須手形で割引あり。
人によりますが、少しの時間に見学するには良い場所です。
山雀(ヤマガラ)という鳥がいっぱいいます。
受付の方が分けてくれた餌を手の上に置いて手のひらを空中に差し出しておくと、手の上で餌をあげられます。
可愛かった!!
旧塩原御用邸、資料も見学出来なかなか良。
畳敷きのトイレは必見?
静な空間が、天皇陛下さまが、こよなく、愛したポイントなのでは?
明治、大正、昭和の三代にわたって多くの皇族の方々が避暑地として利用し、戦時下には皇族の疎開の御殿ともなった塩原御用邸の一部を移築保存してる場所。
衣類、写真、装飾品、家具など貴重な品々を見ることが出来ます。
冬は暖房が付いていないので暖かい服装で行くことをお勧めします。
200円で見られるのはお得ですが、那須塩原市民は無料になるので是非訪れてほしいです。
橋を渡り、最初のカーブ右側小さい看板と門が道路から見えます普通車5台分くらいの駐車場あり小さく、見るところもあまりありませんが貴重な資料館です入場料は大人200円、那須塩原在住の人は運転免許証の提示で無料になります。
名前 |
天皇の間記念公園 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0287-32-4037 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火木金土日] 9:00~17:00 [水] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
塩原での皇室の過ごされ方を知る、とても貴重な施設です。