飛鳥を代表する石造遺跡。
ずっとみたかった、この石。
なんとも、謎の雰囲気が、ありますね。
この時期は、やぶかにご注意ください。
もっと観たかったのてすが、刺されて大変でした。
以前から是非見たい場所でした。
祭祀の跡のようですが、古代の様子を想像するのも楽しいものです。
ボランティアガイドの方が親切にして頂きました。
ありがっ様です。
ボランティアのガイドさんをお願いしたので、見所スムーズに電動自転車にて見られました❗酒舟石欠けているところの全体図も見せてもらい満足です。
石の断面にユニークな模様が刻まれた酒船石は花崗岩でできた石造物で、現存の長さは約5.5m、幅約2.3m、厚さ約1mの大きさです。
江戸時代から多くの仮説があり、酒を造る設備や薬などを造るための設備とも言われています。
また、古代の流体素子であったという説もあり、多くの謎に包まれています。
訪:2020/07/19
歴史の教科書に載っていた石です。
実物を観たのはだいぶ前になりますが、丘の上の竹林のなかにありました。
埼玉県深谷市の農林公園に五穀の塔と言うこれを模したような石があります。
酒船石遺跡(さかふねいしいせき)は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡。
以前から知られている酒船石に加えて、平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。
この命名は明日香村教育委員会によるが、研究者には酒船石と亀形石造物との関連性を疑う意見も強く、この名称は適当ではないとの意見も存在する。
この遺跡は、田身嶺(多武峰〈とうのみね〉とは場所・範囲が違い読み方も不明1,)にあった両槻宮の一部、あるいは両槻宮への入り口施設だとの論議があるが、考古学的には否定されている。
小高い丘の上に位置し、現在は竹藪の中ある花崗岩の石造物。
主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。
上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。
酒を造る道具、あるいは薬などを造るための道具とも言われ諸説あるが定かではない。
近くに水を引いたと見られる土管や石の樋も見つかっていることから庭園の施設とも言われている。
また古代の流体素子であったという説もある。
江戸時代に高取城を築城するため石垣用の石材として利用しようとしたと思われる石割用の石鑿の跡が見られ、上面の造形が欠損している。
住宅地のすぐ近くの竹藪の中にひっそりと有ります。
あまり訪れるひかが少ないのか誰もいませんでした。
何に使われたのかは想像の域を越えると思います。
個人的には、神への生贄の処理の台、もしくは、祭壇かな?とか想像しました。
現在は竹藪に覆われてますが、古の時代では、見晴らしの良い高台で神聖な場所だったに違いないと想像します。
真実はタイムマシンでもない限り誰も正解を得ることは出来ないでしょうね。
奈良は古代歴史的遺産が多いのです。
石舞台古墳から少し遠いですが足を延ばして是非とも訪れてください。
小高い丘のてっぺんに放置された謎の巨石。
大きな楔で人為的に破壊されており原形をとどめていないです。
非常に残念です。
位置関係や用途などを推測、この範囲で見学に行く価値はあると思う。
飛鳥池工房の南側の山側にあり、工房を見下ろす位置にある事から工房との関連性がある事は明白だと思います。
亀形構造物などに比べると装飾なども無く、削り方が雑で美的センスや造り方に繊細さが感じられません。
想像ですが、鋳造技術者あるいはガラス技術者が試作的に作った実験装置ではないかと思います。
試しにこんな装置を作ってみた的ないいかげんな物ではないでしょうか。
種々の薬剤を実験的に調合する為の道具?浅い窪みは現代で言えばフラスコ的に、細い溝はガラス管的に使用する目的で削ってみたけど、結局、熱を加えて化学反応させる事が出来ないので、構想は失敗し、本格的に使用する事もなく放置したって感じかも。
観光 Webによると、丘の上の『酒船石』と下にある『亀形石造物』との関係はまだ明らかではないようです。
『日本書紀』の斉明天皇二年(556年)の条に記されている「宮の東の山に石をかさねて垣とす。
石の山丘」に符合する遺跡ではないかと思われているようです。
『亀形石造物』は平安時代まで250年間使用された形跡があり、何か祭祀が行われたものと推測され、水の流れとしては、石を積んで造られた湧水施設から、小判形、亀形を通って北に伸びる溝に排出するようになっているとのこと。
今は両方合わせて『酒船石遺跡と呼んでいるそうです。
酒船石は 亀形石造物受付小屋の後ろにある整備された竹林山道を2~3分ほど登った所の右手の 標高約132m付近に有ります酒船石は花崗岩からなり 石造物は東西に長く長さが約5.5m 幅約2.3m 厚さ約1mです石の表面には 水が流れる様な溝が彫られまたソノ先には水が溜まる様に彫られた跡が有りました 更に石には石割用の石鑿(イシノミ)の跡があり 人工的に石を割切った形跡が認められましたしかし何故ココに コノ様なモノが存在し 誰がイツ 何のタメに造られたかは 不明トノ事ですなお 酒船石は国の史跡に指定されています日本の夜明とも言える 飛鳥時代が始まったコノ地には 歴史を証明する遺跡や遺構などまたソレらからの発掘品などが多く存在しワクワクします しかし遠い昔の事なので酒船石の様に 謎だらけのモノも多く有りますと言う事で 今後も専門家達の 『アアでもない コウでもない』とアル種の 戦々恐々が続く訳ですまたソレも 大いなる 歴史ロマンですヨねぇ❗
竹林をダラダラ登り、すこっと拓けた場所にこの石がある。何の衒いも無く。でェ「はてな😮???」と誰もが首をひねるコトに成るのだが…。
元々、この辺りに二つの酒船石(山の酒船石、出水の酒船石)があり、一つは京都で庭石となったらしい。然し面白いよねェ~酒船石は。酒を造った?からこの名が付いたと謂われている。飛鳥時代の酒てなぁどぶろくみたいなヤツで、この装置では全くイミフ…だろねェ? 更に水落とし装置と言う話も聴いたけど、下にある亀型石と組合せるとしたら、何で山の上にあるのだ? 運ぶ途中で挫折したのかな。いやいや、そもそもコレで完成品なのか? 変じゃろ。[半可通が…妄想推理しますね]斉明天皇が重祚したのは655年。百済や新羅の使いが次々来日する、風雲急を告げる半島情勢の頃だ。なのに”お庭でお水遊び??”←コレじゃあ「百済滅亡寸前なんやどっ!オカン!!お水遊びしてるバーイかいΣピシ\(゚Д゚;)」て中大兄皇子にツッコミ入れられてしまうよっ。半島出兵(内々に)決定!で、剣呑な空気充満。ならする事は”戦準備”でしょう。山の上に溶解炉が二塔、石組みの高炉だ。その名を”双築宮”wと呼んだ。秘密の大本営&軍需工場があったのだ。溶かした銑鉄をカナ型(酒船石)に流し込み、丸と楕円の鉄板を得る。後はトンカン叩いて盾や鎧を造る、大量生産のテストベッドか。だがしかし、飛鳥テクノクラートは、失敗したのだ…。で、酒船石は此処に放置された。鉄の女帝斉明が、俄に変なコト宮地で始めた(表向きは秘密裏)ので「たぶれ心😵➰の女帝」と、謂われたのですね。と、想いマス。斉明七年、月日を費やし軍備整え、半島に向け遠征軍動く。乾坤一擲の大戦だ。伊予 熟田津にて、言挙げる!「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎいでな」斉明天皇 御製 ※万葉集では額田王の作となる。
飛鳥を代表する石造遺跡。
酒を作ったのか庭園の水を流す設備の一部なのか。
そんなのはどうでもいい。
うららかな春の陽を浴びながらてくてく歩いた先に現れるこれに、ただ古代を感じればいいのではないか。
名前 |
酒船石 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
お酒🍶か?薬💊か?それとも…石柱と説明だけで柵も無く、直に触れる遺跡。
凄く良いです!誰だ!五円玉を酒船石の上に置いたの?