西行が鳥羽上皇の北面の武士であった頃の邸宅跡。
西行が鳥羽上皇の北面の武士であった頃の邸宅跡。
火消し地蔵様がいらっしゃいます。
地域の安全をお守りくださっていらっしゃるのでしょう。
旅の安全をお祈りさせていただきました。
京都市HPよりこの地は,白河天皇陵の北にあり,西行(1118~90)が鳥羽上皇(1103~56)の北面の武士であった頃の邸宅跡と伝える。
江戸時代には庵室(西行寺)があり,境内には月見池・剃髪堂があった。
明治11(1878)年観音寺(伏見区竹田内畑町)に併合。
観音寺には西行法師像といわれる坐像が安置される。
この石標は西行寺の跡を示すものである。
名前 |
西行寺址 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu023.html |
評価 |
4.3 |
なにとな物悲しくぞ見えわたる鳥羽田の面の 秋の夕暮れ山家集大江山 かたぶく月の影さえて鳥羽田の面に 落つる雁がね慈円鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな 蕪村寒の雨を珍しく思い詠む雁さはぐ 鳥羽の田づらや 寒の雨。