近くに駐車スペースはありません。
安倍文殊院の帰りに初めての道を歩いていて櫻の字が目に飛び込み気になって目の前の石段を上りました。
昔は立派だったろうに、寂れた感がしていて、、(泣)祓戸の石碑まであるのに。
「磐余・山田の道/万葉の道」巻八の一の六 桜井市大字谷若櫻神社(わかざくらじんじゃ)この近辺の「山之内」という場所に同じく稚櫻神社(わかざくら)という社があります。
履中天皇の『磐余稚桜宮』はこの辺りにあると伝えられています。
盃のなかに桜が舞い込んだエピソードから名付けられた皇居名というから何ともお洒落なセンスがあったことです。
仁徳天皇から引き継いだ御代は泰平の世で、履中天皇もその世を引き継ぎ永きに亘って治めたということです(日本書紀)。
「若桜の井戸(復元)」がありますが、ここから50mほど北上(桜井駅方向)して左折(三宝稲荷荼枳尼天へ)するとすぐに、地名の元になった「櫻の井」があります。
桜井市のホームページによると履中天皇が磐余池に行幸になり、「桜の井」の水を召し上げられ、これを賞美されてより、「桜井」の地名となったという伝承もある。
解説看板の横に井戸があればこれが地名の元になった井戸と混同してしまう。
せめて「櫻の井」への案内が必要では?わざわざ復元した「若桜の井戸(復元)」の説明もない。
水脈が同じだから同列の扱いでしょうか?まあ、昔にたくさん井戸があって残っていたのが「櫻の井」と言うだけで、この辺の井戸ならどこでも良いのかもしれませんが・・・。
若櫻神社わかざくらじんじゃ奈良県桜井市谷344祭神伊波我加利命阿部朝臣等の祖磐余稚桜宮との関連ありか?この地域の神社には金毘羅大権現の石碑が建っている所が多い金毘羅大権現は四国の漁業神ではなく大国主命の息子の事代主神であろう大国主命の国譲りはあるいは現桜井市で行われたか?諸情報駐車場なしトイレなし道中特に困難なし。
若桜神社は履中天皇磐余稚桜宮の伝承地と言われています。
履中天皇が磐余市磯池で船遊びをしていると、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちたことから、宮名を磐余稚桜宮としたとされています。
この説話にまつわって、桜樹を等弥郷の清水の湧き出る泉のほとりに植えたという伝説があり、「桜の井戸」、桜井の地名の起こりにもなっています。
高台の鬱蒼とした森の中にあり、奥には谷城址と思われる堀切跡などが残っています。
名前 |
若櫻神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33886 |
評価 |
3.8 |
桜井、地名譚縁の地です。