お盆の時期の風物詩であった場所である。
昭和の初めまで枚方警察署があった場所で、この真ん前で花火大会と灯籠流しが行われ、お盆の時期の風物詩であった場所である。
明治一八年(一八八五)、六月一五日朝から一七日夜まで降り続いた豪雨によって、一八日午前三時、三矢村・伊加賀村の淀川堤防が決壊しました(伊加賀切れ)。
その切れ口は約八〇mで、濁流はたちまち茨田郡一円を水没させ、讃良・交野・東成郡の一部から大阪市中にも及びました。
七月にも再び豪雨にみわわれ、切り口から水が流入し、大阪府内で七五五村、七万戸余が浸水するという未曾有の被害をもたらしました。
決壊場所は水深が約五・五mもあり、水勢も激しいことから、旧堤防から後退して弓形に仮堤防が築造されました。
土砂は御殿山(万年寺山付近)から採取され、大勢の人夫を動員して全長約四〇〇mに及ぶ大規模な工事でした。
この洪水碑は明治一九年に建立されたもので、洪水と復旧の経緯が記され、淀川治水の重要性を今に伝えていることから、平成二六年(二〇一四)に枚方市登録文化財に登録しました。
なお、弓形の仮堤防は、旧堤防の完全復旧によりその役割を終え、今は桜町の道筋に名残りを留めています。
名前 |
明治十八秊淀川洪水碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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かなり大きな石碑です。
災害の増えている中、こういった先人の経験から設置された碑はしっかりと意識して行きたいと思いました。