播磨国飾摩より牛頭天王を勧請し鎮疫祭を行ったのが起...
京都旅行時に立ち寄りました。
通りに面している為、近隣コインパーキングに止めて参拝しました。
コラボ御朱印があったのでちゃっかりGETヽ(´▽`)/受付?はお年を召したお婆さんで、窓口は留守ではないけど席を外しており、何度か呼び掛けたけど…のーーーんびりしたお婆ちゃんがしばらくして出てこられたので納得😆丁寧に御朱印に日付を入れてくださいました。
コラボ御朱印は複数種類があるので、迷うとは思いますが選ぶのも楽しいし、コンプリート目指すも良し。
是非訪れてみて下さいm(__)m
駐車場🅿🚙は無い感じでした。
駐輪場🚲はありました。
境内は小さく参拝は直ぐに終わりましたが、[祇園祭の起源]であったり、[祇園祭の際に使われていた岩]等ありました。
壬生寺に行った際に参拝させて頂きました京都壬生にある梛神社は平安時代、疫病の流行を鎮めるため、播磨国飾摩より牛頭天王を勧請し鎮疫祭を行ったのが起源とされます。
のちに今の祇園社(八坂神社)に遷座されたことから、「元祇園社」と呼ばれるようになったと言われているそう。
隼神社は延喜式神名帳にも名が残る由緒ある神社であり、大正七年(1918)に梛神社の境内へ遷座しため二つの神社の本殿が横に並ぶ珍しい形式となっているのだそうです。
壬生寺の北、四条通に面して鎮座する神社。
現在は市街地に埋もれるように建っていますがその歴史は古く、元祇園社の名前が示すように、今の八坂神社の古址にあたります。
さらに、神霊を八坂に送る際に行われた疫病退散の行事が祇園祭の起源だというのですから、京都の歴史を語るうえでも重要な神社です。
とはいえ現在の元祇園・梛神社にそんな格式ばったところは全くなく、この日は七五三参りの親子連れが何組か訪れていました。
都全体の守り神であると同時に地域にも親しまれる、いかにも京都らしい神社だと感じました。
元祇園梛神社と式内隼神社の2つが祀られています。
バス停🚏直ぐにあります。
御朱印をいただきましたが、御朱印帳用の可愛い折り紙の栞🔖もいただきました。
京都出張の仕事終わりにバス停のすぐ近くにうちの家紋と同じ神紋を掲げてらっしゃったのでお参りさせていただきました。
創祀は貞観11年(869)のようです。
珍しく明治時代に禁止になったはずの唐獅子がいます。
しかも、境内に神社がいくつか立ってます。
元祇園というだけあって神仏習合の雰囲気がありますね。
梛神社の祭神は素戔嗚尊(スサノオ)、配祀神に7柱。
厄除けや縁結びのご利益があるみたいですね。
隼神社や稲荷社もありました。
869年、京で疫病が流行ったため、廣峯神社の牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったのがはじまりとのこと。
その後、八坂に牛頭天王を祀る八坂神社を創建することになり、近隣の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったと言われている。
これが”祇園会傘鉾”の起源であり、当社を元祇園と称するゆえんである。
下京区御供石町にあった御供石が1932年に梛神社境内に移され、祇園祭の山鉾巡行のおり、この石の上に神饌を置いて、神に供える習わしになっている。
境内には大正期に遷座された隼神社が鎮座し、本殿が並んで建てられ、向かって左手が梛神社、右手が隼神社。
22/12/31、壬生湯で愛宕山登山で書いた汗を流した後、18:00頃、参拝した。
社務所で明かりが見えていたので、御朱印をいただくことができた。
親切な宮司さんがいます。
御朱印も可愛い書置きの種類がたくさんあります。
狛犬が愛嬌あります。
本殿が立派な点以外はよくある神社という感じ、八坂神社の前身がここにあったと聞いてきた。
源家の人間が播磨国の広峰という場所から牛頭天王を勧請してきたことにこの神社の歴史は始まるらしい、後に八坂神社の現在地にご遷座されたと由緒書きにある木々は手入れが行き届いておりとても大切にされていることが分かる。
隼神社の社殿が横にある。
神社の方は優しく良い人ばかりで、都会に疲れた時におちつける場所です。
また、毎年のお祭りも見どころがあります、
レンタサイクルを利用して訪れました。
境内は、コンパクトながら椰神社と隼神社が並んで祀られています。
八坂神社の元となる神社です。
御朱印と共に、あまり他で見ない、見開き用の御朱印帳があったので入手しました。
御朱印は工夫されていて、色々なバージョンがありました。
他に参拝者が居なかったので、色々と話をさせていただきました。
21年9月6日に訪れました。
境内に、『元祇園梛(もとぎおんなぎ)神社』と『隼(はやぶさ)神社』が並んで鎮座しています。
平安時代、京の都に疫病が流行った時に牛頭天王(ごずてんのう)(素戔嗚尊)の神霊を勧請して鎮疫祭を行いました。
その分霊を乗せた神輿を梛の林の中に祀ったのが『梛神社』のはじまりです。
後に、八坂神社を創建する時、花で飾った風流傘や鉾で、神輿を見送りました。
これが祇園祭の起源だといわれています。
また、八坂神社の古址(こし)(昔あった場所)にあたり『元祇園』と呼ばれるようになりました。
『元祇園梛神社』と『隼神社』の御本殿の間にあるのが、御神木・梛の木です。
梛の葉は引っ張っても切れにくいため「縁が切れにくい」「ご縁を結ぶ」縁起のよい木とされ、良縁成就、夫婦円満などご利益があります。
御朱印をいただきました。
『元祇園梛神社』の「八大神社」のコラボ御朱印です。
祇園祭の御朱印もいただきました。
『元祇園梛神社』は美しい絵の御朱印で人気の神社です。
今回はコロナ禍のため、季節の数量限定の書き置き御朱印も17種類以上ありました。
宮司さんがとても親切でした、ふくろうのお守りもおすすめです。
町の中にあるが、落ち着いた雰囲気の神社です。
姫路にある広峯神社から牛頭天王の御霊を勧請した時にその神輿を椥(なぎ)の林中に置いて祀ったのが始まり。
とのことその後八坂神社へ遷祀したので元祇園。
御集印⏩️イロイロあります。
書き置き種類多い500円、1000円納めます。
とにかく御朱印が豊富な神社です。
10種類以上もありました!スサノオノミコトをお祭りしている神社で、祭神を東山八坂に祭る前いったんこの地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが始まりの神社だそうです。
こじんまりとした神社。
バスで京都駅から移動するとバス停前にあるので便利です。
御朱印に力を入れているのかかわいい御朱印が沢山あります。
サイズが横長の物が多いので現地で横長御朱印帳も購入しました。
お願いの実みたいな物もあり、小さい割にエンターテイメントせいが高いです😊宮司がいらっしゃったら、御朱印直接記載してくれます。
ここ一社でもうお腹いっぱいになるくらい素晴らしい神社でした。
そのむかし、京都で飢饉や疫病が蔓延したときに、出雲大社からスサノオの尊を分祀頂いたときに、分祀先の八坂神社がまだ完成しておらず、梛の林の中に祠を建て、ひとまずお祀り。
八坂神社が完成した暁に、盛大に神輿を祀り八坂神社まで練り歩いたというのが祇園祭の始まり。
そのため元祇園の言葉がかぶせられている。
毎年五月には壬生一帯を練り歩く神事が行われるが、鼓笛隊で奏でられる楽曲は、時代祭と同じものである。
また、新撰組の屯所があった壬生寺へ行く途中にあるので、寺社仏閣巡りにはちょうどよい。
鉄道最寄り駅の大宮(四条大宮)付近は飲食店や老舗の甘味処もあり、バスも各方面からくるので巡りやすい。
気さくで爽やかな宮司さんが、達筆の御朱印を授けてくださいます。
節分祭で壬生寺に行く際に梛神社・隼神社もお参りします。
夜に行くので、本来の目的とは違いますがお焚き上げの火で暖をとらせていただいてます。
節分祭には限定で金泥で書かれた御朱印がいただけました(書置き)。
こじんまりとした神社ですが趣があります。
梛神社と境内の隼神社はに厄除け、疫病払いの神様だと言われています。
5月第3日曜は氏神祭で、少年勤王隊、獅子、鉾、花傘などの祭列は見ものだそう。
こちらのでは梛神社と隼神社の御朱印を取り扱っています。
季節によって書き置きの御朱印が変わるようです。
平安期、疫病の流行を鎮めるため、播磨国飾摩より牛頭天王が勧請されたことを創祀とする。
この時、辺りが梛の林であったことが社名の由来とも。
のちに今の祇園八坂神社に遷座されたことから、「元祇園社」と呼ばれる。
式内社の隼神社は、近代になって境内に遷座してきた。
仲良く並ぶお社、南が梛社、北が隼社。
境内は木々が良く手入れされ、気持ちいい。
この神社、阪急大宮駅からそれほど離れていない。
元祇園さまの近くが阪急の元終点で、今の祇園さんが阪急の現終点・河原町近くというのが、偶然とはいえ笑える。
双子神社です。
梛神社と並んでお祀りされてます。
御朱印の種類も豊富です。
直ぐ近くに壬生寺があります。
節分の日は大賑わいです。
御朱印を頂きましたが神主さん?の対応が最高でした。
ああいう方ならいつ誰が訪れても来てよかったと思える対応をしてくれると思う。
歩いていて見つけてふらっと立ち寄りました。
祇園祭の起源に関係する神社だそうな。
小さな神社ですが、この通りにはあまり寺社仏閣がないので目立ちました。
小さく特別何かがある訳ではない。
しかし、元伊勢と同じで、祇園社の元という意味では八坂神社(通称は祇園さん)の先輩格。
もっと大きく宣伝しても良いのではないでしょうか。
節分には壬生寺とセットで参拝する人が多いです。
地元の氏神様として親しまれています。
祭りの時には四条通り沿いに数えきれないほどの露店が並び、すごく賑わいます。
近くには壬生寺や新撰組で有名な壬生の屯所や和菓子の老舗鶴屋鶴寿庵、美味しいきんつばのお饅頭屋さんもあるので是非とも行ってみてください。
新選組発祥の地から近い神社。
京都で有名な祇園祭の由来にもなっている歴史をもっているようだ。
(インターネットの情報なので不確か)貞観11年(876年)に創建されたが、祇園社(八坂神社)ができるときに、神輿を八坂におくったそうだ。
これが祇園祭(祇園会)の起源と書いてあった。
だから元祇園社ともいわれる。
近くに前川邸という古い家がある。
通りを歩いたがいまではわずかに母屋の木の壁が見えるくらいだった。
余談だが京都のいえは木の壁が多い。
きまって火ですすを付けられていることが多い。
近くの前川邸もそのつくりでした。
別の場所でみた木の壁は崩れていて内部がわかったが土壁の化粧材として木の板を張り付けているようだ。
なぜ、すすを付けるのか、すすの模様(半分がすす)なのかはまだわからない。
その前川邸の向かいが新選組発祥の地。
その幕末のときは周囲は田んぼも多く、この元祇園梛神社は当時は田んぼにぽつっとたつ祠だったようだ。
明治、昭和に建て増しされて現在の姿にいたる。
2社が並んでいるようにみえるのもそんな時代背景があるからかもしれない。
社殿としてはあまり味を感じないし、狛犬にも歴史を感じない。
狛犬は昭和4年の改築のときに一緒に鎮座したものだった。
京都の狛犬は横幅が気持ち広く獅子の面影を少し感じる。
初めて参拝したときには少し道に迷いました。
敷地は広くありませんが、とても清らかな空気を感じました。
通常の御朱印の他カラフルでステキな特別御朱印も楽しみです。
貞観11年(876)牛頭天王の神霊を播磨国広峰から勧請した折、その神輿を梛の林中に置いて祀った。
祇園神社、祇園祭に所縁のある京都の穴場スポット。
四条大宮からほど近く、壬生界わいの観光がてら立ち寄ってみましょう。
境内はそんなに広くはないのですが、いい気を感じられる場所でした。
御朱印も丁寧に対応してくださいました。
式内大社隼神社が隣接しているのも、興味深いです。
京都の中でも穴場のスポットです。
参拝目的でバイクを境内に置くことができないか神職の方に聞いた所、快諾していただけました。
椰神社と隼神社の御朱印がいただけます。
大きくはありませんが、由緒ある神社です。
神職さんは丁寧な方でした。
深い縁のある八坂神社からは少し歩きますが、一緒に参拝したいですね。
名前 |
元祇園 梛神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-841-4069 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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壬生寺への細い道のまさに入口にある神社で社が二つ並んでいます。
ほっとする雰囲気です。