(五条坊門猪熊) 今に至ります。
天道様の神社かなと思って、説明を読んだら明治天皇の皇后昭憲皇太后の御胞衣(おえな)を埋納した塚があると知ってびっくりしました。
目立たない神社ですが、由来が凄すぎる。
拝みます。
大宮から猪熊通を歩いてくると住宅街の中に楠の大木が見えてきます。
仏光寺通に回り正面から拝観すると窮屈な境内には、それぞれの神様が摂社に鎮座され正面には大木の間から天照大神を祀る本殿が、この配置何か京都を感じました。
しかし桓武天皇が平安京遷都の際、長岡京から今の東洞院御池辺りに勧請し神泉苑位の広大な敷地に、皇族 貴族 住民の方々 が参拝されてたのですが、数々の兵火の為焼失、1572年織田信長にこの地を授かっても1788年天明の大火で焼失、再び再建され歴史の表舞台に出ることなく、ひたすら人々を守り続けて今に至っている神様達ですね。
仏光寺猪熊通りにある神社です。
町中に佇んでいますが木々に覆われており厳かな雰囲気です。
主神は天照大神で春日大神、八幡大神を祀るとのこと。
かつては皇族も参拝したといいます。
境内には大きな楠があり、目を引きます。
街中に佇んでいます。
長岡京ゆかりの神社です。
京都にひっそりとある天道神社。小さな神社ですが、吸い込まれていくように入りました。歴史も深いようです。
歴史もさることながら、「天道」この名称がとてつもなくカッコいい神社です。
長岡から桓武天皇が京都にうつして織田信長がこの地にうつして。
小さな神社だけど歴史がすごい。
楠、公孫樹、招霊木(おがたまのき)と、大木が存在感たっぷりの天道神社さま。
元は長岡京にあり、平安京遷都後、勧請され、信長によって現在地に移転されたという。
訪れた日は御神職の奥様と思われる方と、近所の方が談笑されていて、いい雰囲気でした。
長岡京には勧請元の神社、残っているのだろうか?調べたら判るのだろうか?
仏光寺猪熊通の北西角地にある町中の神社です。
猪熊通を南下すると大きな木が家々の屋根の上に見えるのでわかりやすいです。
本殿は大きな古木に囲われて緑の傘下にある様な感じがしました。
御由緒には、平安遷都、長岡京、織田信長の記載も有り、歴史のある神社です。
四条大宮から徒歩3〜4分、街中の神社。
天照大神様をお祀りしてます。
平安時代は皇族、貴族ら多くの方が参拝されていたそうです。
境内に大きな木があり、何とも言えない良い雰囲気でした。
街中のお社です。
由緒書きによると、桓武天皇が長岡京から勧進した歴史ある神社だそうです。
現在地は織田信長から寄進されたものとのことです。
「天道さん」で氏子に限らず敬愛される神社!小さいながらも、信長の手によって移設される前に長岡京にあった頃は一町場ある大きな神社だったとか。
天照大御神を主神とするココは隠れパワースポットの様に何かしら力を授かれる気がします。
京都市中心部の 住宅密集地の中に ポツンとある。
非常に狭い神社で、 ある意味びっくり。
狭い 鳥居を 軽自動車で潜って 駐車させていただく。
小さな本殿があって、 様々なのぼり旗も立っていて 地域の人々にとってみれば、 大切な鎮守だと思われる。
お日柄もよく#天道花神事#天道花 前日からの飾り付けがようきれいに上がってます11:00から#天道神社 にて神事に参列20名ほどが拝礼されました11:40から直会でしたお下がりのお神酒と新撰ぼた餅をよばれました短冊には、千はやぶる卯月八日は吉日よかみさけ虫をせいばいぞすると書かれていると、お世話されてはるねぇさんがいってはった。
雰囲気の良い小さな神社です。
此の地は度々兵火に遭い、天正二年(1574)織田信長公より此の血を賜わり、(五条坊門猪熊)今に至ります。
YOUTUBEで動画の配信をしています、是非【サントん暮らし】で検索を!
平安遷都に随伴した神社。
現社地は織田信長公より賜る。
織田信長ゆかりの神社。
名前 |
天道神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-821-2973 |
住所 |
〒600-8397 京都府京都市下京区西田町615 仏光寺通猪熊西入ル |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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京の町中に鎮座されておられる京町屋街の中のお宮さまで居られます、御祭神は神宮・大社の武ー道ー徳ー儀礼式にお祀りなされる神様。
天照大御神 ・八幡神 ・春日明神 ・古の武士道の道場の神床に御三柱之御神名之御掛け軸を拝賜なされて、御榊、御神酒・洗米・盛塩を三宝台に献げられて、お祀りを為れていられる賢き神々で在られます。
拝礼。