奥州丸山の領主佐藤庄司元治の子継信、忠信兄弟は、 源義経の忠臣として 平家討伐に活躍した。
兄継信は屋島の合戦で義経の身代りに 弟忠信は京都で源頼朝に追われた義経をかばいそれぞれ戦死した。
兄弟の母「音羽の前」はせめて戦場の跡を訪ねようと奥州を旅立ちようやく出雲崎にたどりついたが、先が長い旅を断念し大字尼瀬の釈迦堂(現在の善勝寺の前身)で尼僧となり 2人の菩提を弔ったという。
今に伝わる出雲崎のおけさは 建久元年(1190)に義経のために立派な最後を遂げた子供達の詳報を聞いた音羽の前が嬉しさのあまり尼僧たちと袈裟法衣のまま歌い踊ったのが始まりで、 「袈裟」が「けさ」 「おけさ」となり、これが「おけさ」の源流となったと伝えられている。
この「おけさ源流の碑」は 昭和59年10月27日に「おけさ源流の地記念碑を建立する会」により建立されたものである。
(案内板)「音羽の前」に関しては、福島市飯坂町の医王寺、宮城県白石市の田村神社・甲冑堂にも伝承が残っている。
名前 |
おけさ源流の地石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
サイクリング中に雨に降られ東屋で雨宿りさせてもらいました。
ふと気付くと大きな石碑、なるほど。