片貝町の佐藤佐平治が私財をなげうって救済した地 救...
片貝町の佐藤佐平治が私財をなげうって救済した地救済という縁で結ばれた片貝と結東。
今後も末永く交流が続くことを願います。
佐藤佐平治江戸時代後期に全国で相次いだ大飢饉で、秋山郷は大きな被害を受けました。
天明3年(1783年)の大飢饉では大秋山、矢櫃村が全滅。
天保7年(1836年)年の大飢饉では甘酒村、高野山村が全滅し、他の村も絶望の危機に陥りました。
その悲惨な状況に救いの手を差し伸べたのが、片貝村(現:小千谷市片貝町)の造酒屋・佐藤佐平治でした。
佐藤家(代々の当主は佐平治を襲名)は以前から飢饉の度に全力を挙げて被災者を救い、その為に一時は家業の酒造業が破産寸前になったほどでした。
第21代佐平治は父の代から20年間に渡って蓄え続けた籾・稗1200表(1080石)昆布1万把を片貝近郷・上妻有郷・秋山郷の村々に与えました。
特に秋山郷・結東村(現:津南町結東)へは全体の3分の1にあたる361石と共に御救方手金10両及び協力金50両を施しました。
1両は現在の金額で約20万円、50両だと1千万円になります。
しかもその50両を自分が結東村から借り受けて利息7分(3両2分)を毎年村に払い続けました。
この支払いは昭和42年(1967年)まで、実に135年間にも渡って続けられました。
名前 |
佐藤佐平治翁記念碑 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.7 |
全く知りませんでしたが、江戸時代後期の大飢饉で大きな被害を受けた秋山郷に莫大な資金や食料を援助し救済した片貝村の方だそうです。
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