さくらのきが立派です、春に行きたい。
日本庭球発祥の地碑(テニス発祥の地) / / .
京浜東北線石川町駅から徒歩で十数分のところにある山手公園内にあります。
目の前にテニス発祥記念館や市営のテニスコートがあります。
日本におけるテニス発祥の地に。
居留地外国人によって造られた洋式公園の中で、初めてテニスがプレーされたそうです。
発祥記念館は歴史を知ることができ楽しい。
入館無料なので西洋館巡りの際は是非とも立ち寄ってみては。
たまたま立ち寄りましたがステキな空間でした。
山手公園内にあり、テニス発祥の地とのことで記念館もあります。
日本で最初に洋式のテニスが行われた場所で、横浜居留地時代に外国人の方々が洋式テニス庭園として開設したのが始まりです。
園内にはテニスコートがあり、駐車場と駐輪場が完備されています。
アクセスJR京浜東北線、根岸線、石川町駅より徒歩11分みなとみらい線、元町・中華街駅より徒歩16分です。
横浜の高級住宅街に有るテニスコート入口に石碑があります記念館の中に庭球の歴史を感じられる資料があります天皇家が使用したテニスコートの写真もあります。
1944年(昭和19年)に山手公園は横浜市に管理が移り、1998年(平成10年)にテニスの発祥の地とされ、テニス発祥記念館を設けました。
現在のテニスが生まれたのは、1865年に英国の陸軍であったブラウント大尉を代表として設立された「ラケット・コート・クラブ」です。
この頃のゲームは2人がラケットを持ち、壁にボールを打ち合うものでした。
これが現在のテニスの形となるものです。
それから年月が経ち、1874年(明治7年)にイギリスのウィングフィールドが近代テニスに近いルールを作り、1877年(明治10年)に「ローン・テニス・クラブ」が生まれ、コートを今の横浜公園のクリケット・グラウンドに設けました。
その頃のテニスはネットの高さも、コートの広さも自由でした。
同年にジョーンズにより、コートやボールなどの規定がほぼ現在の形に改良され、7月に最初の全英選手権大会が開催されました。
これが近代テニスのできるまでのいきさつです。
現在もテニスクラブと市営テニスコートがあり、旧山手68番館の建物はクラブハウスとして使われています。
また「テニス発祥記念館」、「日本庭球発祥の地の碑」が立っています。
古の『モボ・モガ』が汗を流したであろう、悠久の地。
日本にテニスが来てここで始まらなければ、僕のおばあちゃんも、僕もテニスをすることがなかったのかーって思った。
じゃあ何をやってたのかな?
さくらのきが立派です、春に行きたい。
公園内にテニスコートがあるので、存分に楽しめます。
明治4年(1871年)、横浜山手に外国人専用の山手公園がつくられました。
その山手公園に、明治11年(1878)年、日本初のテニスコートがつくられ、これが日本の庭球の始まりとのことです。
石碑があります。
名前 |
日本庭球発祥の地碑(テニス発祥の地) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
実は知らずにたまたま行ったらあったので寄ってみました。
テニスをやってる者として一応見ておかないと。
中には歴史を感じさせるものが展示されていました。
すぐ見終わるので、時間があれば寄ってみてもよいかも。