名前 |
照高院趾 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
当初は東山七条の妙法院付近に創建。
豊臣氏滅亡後に破却され、1619年現在地に再建後、歴代聖護院門跡の退隠所御殿となった。
最後の聖護院(照高院)宮である智成親王(能久親王:輪王寺宮の弟)が還俗して初代北白川宮となった後、明治初期に廃絶。
西側に石積二箇所がわずかに残るだけであるが、堅牢で大規模であり、広壮な門跡退隠御殿を偲ばせるに十分といえる。
なお歴代法親王の位牌が近くの乗願院に移されて伝わるとのこと。