北山通から一歩中に入り住宅地と駐車場に囲まれた畑地...
牛若丸誕生井京都で1番古い石碑とのこの。
源義経の生誕の碑があります。
北山通から一歩中に入り住宅地と駐車場に囲まれた畑地なので少し迷いましたがなんとなく到着。
この辺りは、約1000年位前 源義朝の別邸があり常盤御前が住まい 1159年の牛若丸の生誕の際産湯として使ったのがこの井だったらしいです。
ただ大正期の土地区画整理で井戸はなくなってしまいましたが、水脈はまだあるようです。
もう一つの井戸は石碑はありますが水脈はないようです。
義経の31年の生涯の幕開けの地ですがひっそりしてますね。
上野新三郎氏の由緒書より抜粋「牛若丸はこの地で平治元年(1159年)生誕しました。
産湯井・胞衣塚と彫られた石碑には応永2年(1395年 室町末期)と年号が銘記され、京都で一番古い石碑と思います。
今は畑の中ですが、明治の頃まで牛若丸大弁才天女社の小宮で、開運のご利益と崇められていました。
」上野新三郎氏は、この上野の地で三十代以上続く旧家のご当主でしょうか。
上野家には源義朝に仕えたという伝承があるそうです。
この辺り一帯は源義朝の別邸があり常盤が住んでいたところで、平治元年 義経誕生の時、この場所にあった井戸水を産湯に汲み使ったと伝えられていました。
ですから、この井戸が本当に産湯の井戸かは定かでは有りませんか、歴史の遺産はとはそんなものですよ。
その後、江戸時代、この地には大徳寺の塔頭・大源庵がありました。
大源庵は「常盤第(ときわのてい)」または「常盤故御所(ふるごしょ)」などと呼ばれていましたが、大源庵は廃寺となり、井戸のみが残されました。
YOUTUBEで動画の配信をしています、是非【サントん暮らし】で検索を!
この辺り一帯は源義朝の別邸があり常盤が住んでいたところで、平治元年 義経誕生の時、この場所にあった井戸水を産湯に汲み使ったと伝えられていました。
ですから、この井戸が本当に産湯の井戸かは定かでは有りませんか、歴史の遺産はとはそんなものですよ。
その後、江戸時代、この地には大徳寺の塔頭・大源庵がありました。
大源庵は「常盤第(ときわのてい)」または「常盤故御所(ふるごしょ)」などと呼ばれていましたが、大源庵は廃寺となり、井戸のみが残されました。
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牛若丸こと源義経が誕生したという歴史的な場所です。
名前 |
牛若丸産湯井 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ki001.html |
評価 |
3.6 |
牛若丸降臨の地。