地獄の門という言葉がピッタリ。
遂に念願の鬼押出し園内に入ることができたので一番奥のコースまで歩かせていただきました。
こちらはその中でもメインの一つ、浅間山観音堂の門になります。
なかなかに歴史を感じて良かったです。
地獄の門という言葉がピッタリ。
今風に言うなら異世界への入り口か。
立派な赤い門。
惣門は入園口から進んでいった左側にあります。
この惣門は、1682(天和2)年、東叡山寛永寺内に建立された勧学察(学問所)の表門だったもので、昭和41年5月に、この場所に移築されました。
惣門の左右には、二天尊像(持国天・増国天)があり、徳川5代将軍綱吉公ゆかりの尊像だそうです。
ここをくぐると、表参道が始まります。
ワオ(原文)Wow
特別な景色のある場所にある、非常に特別な防衛があります。
この場所は歴史的な意味もあります。
観音院は訪れる価値があります。
(原文)有很特別的御守,座落在景致特別的地方,此地也具有歷史意義,觀音寺值得一看。
浅間山観音堂の入口の惣門にも歴史的な背景があるようですね。
以下は、看板に書いてあった説明です。
惣門と二天尊像の由来 此の惣門は、天和2年(1682年)東叡山寛永寺山内に建立された勧学寮(学問所) の表門であった。
明冶以降は東叡山寛永寺の惣門として保存されてきたが昭和41年5月に当別院の惣門として改修移築された。
惣門の左右にご安置されている二天尊像は、五代将軍綱吉公ゆかりの尊像で公の没した宝永6年(1709年)綱吉公の霊廟が寛永寺に造営されその二天門のために大佛師法橋香澄によって造立され左右に祀られた二天の尊像である。
その後明冶になって同じ霊廟中の勅額門にご安置され更に昭和42年には修理を施されてこの浅間山観音堂の堂内にお移り願った。
昭和62年5月二天尊像本来のご性格を考慮してあらためて当惣門にご安置申し上げたものである。
昭和62年5月20日 浅間山観音堂執事注釈(向かって右が持国天、左が増長天、腹部の顔は鬼面といって武神であることを表しています。
)
名前 |
浅間山観音堂 惣門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
初めて行って来ました。
浅間山の噴火で出来た溶岩原が、今では樹木が成長し、上野の寛永寺別院が建立され、とても立派でした。
一度は尋ねるのも良いものですよ。