群馬県太田市新田市野井町にある神社。
初めて参拝させていただきました。
歓迎されているのかその日は風も強くないのに鳥居まで来ると神社の本殿から鳥居まで風が力強く吹いてきました。
参拝後も怖いくらい(笑)風が吹きました。
当時の戦で亡くなった魂達が敵味方問わずしっかりあの世に行って次は素敵な人生を過ごせますよう願ってきました。
鎌倉幕府を終わらせた重要人物なので、もっと良い扱いを受けても良いのではないかなと思うのですが。
2020年春コロナ禍で自粛中でしたが会社休み多くなり参拝東武伊勢崎線木崎駅より東武桐生線治良門橋駅の方が歩いて大分近いですがそれでも可也歩くので違う交通手段をお勧めしますが新田義貞旗揚の聖地として個人的には感慨深かったものの何となく微妙な現実があったので色々其れでもボタン再生の自動紹介ビデオや受験合格祈願の絵馬等工夫有りましたが社務所はクラスター発生で当分の間休止、駐車場も参拝ではない感じの車駐中。
犬と散歩で参拝の人も。
平将門国王神社と同じく平地に有りました。
境内も結構広く、少し廃れた雰囲気もありましたが、静かで落ち着いた神社でした。
御朱印は書置きのみでしたが、他のネットの情報を見ると、運が良いと直書きでいただけるのかな?
春の陽気に誘われてかねてより訪ねてみたかった生品神社へドライブに出かけました。
新田義貞公が僅か150騎で挙兵した神社がどんな場所なのかと想像を膨らませながら訪れました。
到着すると駐車場の入口付近には義貞公がお約束のポーズ(笑)で出迎えてくれました。
神社としてはそれ程広い場所ではありませんが樹齢何百年のもなろうかという巨木群や石碑の多さで由緒ある場所であることを再認識しました。
新田義貞挙兵の地とされる生品神社✨ここから鎌倉に攻めあがり、鎌倉幕府を滅亡させたのです。
新田義貞の銅像は、有名な稲村ヶ崎の場面です🎵この地も歴史を動かした場所の一つです😌
新田義貞が鎌倉幕府を討伐するため旗揚げしたところです。
ただ社務所は閉まっていました。
ご朱印はいただけませんでした。
参拝者は一人しかいません。
この神社は新田義貞が北条鎌倉幕府を倒すため旗奉げをした場所で、新田荘遺跡で国指定です。
参道右側に何本かの楠木の大木があります。
前の駐車場に新田義貞が鎌倉の稲村ヶ崎に剣を投うぜし姿の像があります。
普通の神社です。
新田ゆかりの神社なんだから、もう少し盛り上がりが欲しいかも!お守りが買えなかった…
生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市新田市野井町にある神社。
主祭神は大穴牟遅神(大国主)。
旧社格は県社。
境内は国の史跡に指定されている(国の史跡「新田荘遺跡」の一部として指定)。
平安時代の上野国神名帳に「新田郡従三位生階明神」として記載される古社である。
主祭神は大国主であるが、平将門を祀っているという伝説もある。
元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、産土神である生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。
このとき、旗揚げに参集した武将は150騎だったと伝えられている。
境内には社殿の他、新田義貞公像、義貞公旗揚げ塚、神木、記念碑等がある。
毎年5月8日には例祭として鏑矢祭が行なわれる。
立派な神社様だけど何となく淋しい感じ。
▼ご存知、新田義貞が鎌倉幕府に反逆の狼煙をあげた神社です。
▼ここで挙兵する2か月程度前まで、新田義貞は現在の大阪の南東に位置する楠木正成が守る千早城の包囲作戦に参加していました。
▼ところが、急にその戦列を離れ、この神社がある辺りの領有地・「新田荘」に帰郷してしまいます。
▼帰郷の約1か月後、千早城包囲作戦で出費がかさんだ鎌倉幕府が、新田義貞に6万貫(約6億円)を5日以内に拠出するよう強要します。
▼幕府は取り立ての官吏を新田荘に送り込んで来ますが、新田義貞はこの官吏をバッサリ斬り捨ててしまうのです。
▼これにより、義貞は反幕府の狼煙をあげたも同然となり、積極的なレジスタンス活動に走るのです。
▼生品神社で旗揚げをした新田軍はたったの150騎。
▼新田の親族は越後方面に多いのです。
なので官吏を斬った直後に、旗揚げに伴う動員要請のため、山伏に扮した使者を越後に向けて送り出しています。
▼この生品神社の旗揚げでは、鎌倉方向である南に向かって矢を射る儀式やクヌギの木に新田の家紋・大中黒を掲げ戦勝祈願をしました。
▼そのクヌギは明治37年に大音響と共に倒れたので、一部を神代木として境内に残してあります。
▼生品神社で旗揚げをした新田義貞らは、途中上野国の守護所を攻め、兵糧を確保した後、一路鎌倉を目指します。
▼越後の親族らの合流等もあり、150⇒5000⇒30000と増やし、鎌倉の切通しを攻める頃には10万まで膨れ上がったの言われています。
歴史ある立派な神社ではありますが、あまり整備されてはいませんでした。
古いとか小さいとかでは無く、逆に大きく立派な神社です!!手入がされていない感が凄かったです。
特に、本殿とトイレは、もったいない!と感じるレベルでした。
御朱印と立派なのを頂いたのですが、宮司さんが書いている時に「あっ!間違えた!!」という声が普通に聞こて んっ?と思いましたが、逆に人間味があって楽しいです。
そして、えっ!?どこが間違え??というレベルでした!!
高い木に囲まれており、雰囲気がとても良い神社です。
人もあまりいなく、ゆっくり参拝できます。
オススメです。
特別綺麗に掃除はされてませんが、いかにも昔からあると思う木々もある佇まいでした。
社務所で、御朱印を頂いている間にすぐ横にある生品神社の歴史だったでしょうか?ボタンを押すとテレビ画面のようなものから、映像説明が見れたのが良かったです。
国の史跡「新田荘遺跡」の一部となっている神社。
元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の 綸旨を受け、産土神であるこの生品神社境内で旗挙をしたと伝えられています。
その時の兵力は、わずか150騎だったそうです。
境内には、義貞が旗挙の儀を執り行った場所とされる「床几塚」、また、「新田義貞が当社前にて挙兵の際、神代木と記される大樹に大中黒の 新田旗を掲げ、戦勝を祈願した」と神社所蔵の古文書に記載されている「神代木」と呼ばれるくぬぎの古木(倒木)が祀られています。
緑が深い神社です。
かつて新田義貞が鎌倉幕府を倒すために旗揚げした神社として有名です。
国指定の史跡でもありますが、おみくじの箱の中まで泥で汚れているなど、もう少し神社としてちゃんと整備して欲しいなと思います。
Wikipediaによると、『太平記』には挙兵に際して、1333年5月8日卯の刻(午前6時頃)に新田義貞はじめ新田一族が新田荘にある生品明神社に参集して決起する逸話が描かれている。
新田義貞の神社で静かな所です。
自販機横の空き缶入れも新田義貞です。
新田義貞の神社に初詣行って来ました。
趣ある神社でした。
新田義貞公挙兵の地です。
神社内は少し寂れてる印象。
宮司さんはなかなか居なかったりしますが、御朱印は独特な文字で頂けます。
社務所が不在でした。
御朱印を欲しい方は連絡してから参りましょう。
車道の隣ですのであまり静かな所ではありません。
名前 |
生品神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
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県道322を走っていると、赤い鳥居が見えてきます。
新田義貞の産土神。
義貞の鎌倉攻めの際に、旗揚げをした場所とされています。
境内にはそれに由来する旗揚塚や床几塚があり、毎年挙兵日である五月八日には「鏑矢祭」が執り行われています。
御朱印は書置きが頂けます。