自ら剃髪染衣し君臣一統の霊を弔ったのが当寺の始めと...
新田氏累代の墓所がある円福寺とは別に東武伊勢崎線世良田駅から歩いて15分由来説明文が無かったのですが↓に詳しく平地に有りました。
普段は、人が居ませんので御注意を…。
こちらの開基は、新田氏四代政義。
そこで新田氏累代のお墓があるワケですが…どうも鎌倉時代に新田氏が没落した原因を作ったのは、この政義のようです。
寛元2年(1244年)大番役として京の都にいた政義は、幕府に無断で朝廷に官位を要求。
これは幕府の法に背くものであったので、幕府と争いたくない朝廷は、これを通報。
幕府が彼を処断しようとすると、さっさと出家して役目を放り出し、新田の里へ帰ってしまいました。
これで普通ならば、いかに新田の総領といえども、厳しい処分があるところでしたが、彼の一身は許されました。
政義は足利一門から妻を娶っていたので、事無きを得たようです。
しかし、これで新田宗家は没落。
あとは岩松と世良田が継ぐことになります。
単なる世間知らずの御曹司だったのか、それとも足利幕府に対し、一方の源氏の総領としての対抗心を持っていたのか…今となっては彼の気持ちはわかりません(;_;)/~~~
名前 |
円福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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◼️伊勢崎佐波観音霊場第28番水沢山三王院円福寺(真言宗智山派)十一面観音◼️新四国88ヵ所霊場 第16番◇創立は建武年間、新田義貞の死後家臣田中某、本村字下曲輪に来たり境内に小庵を設け、自ら剃髪染衣し君臣一統の霊を弔ったのが当寺の始めという。
天文年間丹波国天田郡天田村芦田三郎宗俊長男宗義が下田中村に住し、その二男に海翁という人があったが、多病のため僧になり、名を円福といい、この時初めて庵を改めて田中の円福寺と称す。
◇元和年間木村の住人長谷川孫左衛門五男菩提心を起し順永と改名し仏道修行回国して帰村し堂宇を修繕す、これが当寺の一世住職なり。
◇本尊の由来 台座に『弘法大師御作』とある。
ていはつぜんえ【剃髪染衣】 髪を剃り、墨染めの衣をつけること。
出家して僧や尼になること。
また、その姿。
くん‐しん【君臣】君主と臣下。
主人と家来。
かいこく【回国】巡礼、お遍路のこと。
本堂も山門も新しく、とてもスッキリとした境内。
無人ながらもしっかりとパワーは感じ取れました。
本堂左にボケ封じ観音があります。
納経は北に一キロ先にある長慶寺で頂きました。