普段は、人が居ませんので御注意を…。
こちらの開基は、新田氏四代政義。
そこで新田氏累代のお墓があるワケですが…どうも鎌倉時代に新田氏が没落した原因を作ったのは、この政義のようです。
寛元2年(1244年)大番役として京の都にいた政義は、幕府に無断で朝廷に官位を要求。
これは幕府の法に背くものであったので、幕府と争いたくない朝廷は、これを通報。
幕府が彼を処断しようとすると、さっさと出家して役目を放り出し、新田の里へ帰ってしまいました。
これで普通ならば、いかに新田の総領といえども、厳しい処分があるところでしたが、彼の一身は許されました。
政義は足利一門から妻を娶っていたので、事無きを得たようです。
しかし、これで新田宗家は没落。
あとは岩松と世良田が継ぐことになります。
単なる世間知らずの御曹司だったのか、それとも足利幕府に対し、一方の源氏の総領としての対抗心を持っていたのか…今となっては彼の気持ちはわかりません(;_;)/~~~
名前 |
円福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
新田氏累代の墓所がある円福寺とは別に東武伊勢崎線世良田駅から歩いて15分由来説明文が無かったのですが↓に詳しく平地に有りました。