画風を呉春の住む場所から四条派と呼ばれた。
名前 |
画家呉春宅址 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na059.html |
評価 |
4.5 |
円山応挙が亡くなると呉春は京都画壇の中心となり、画風を呉春の住む場所から四条派と呼ばれた。
呉春は合作が多い絵師であった。
岸駒と合作した「山水図」を描く。
晩年の呉春は、放埒な生活が祟ってか病気がちで健康がすぐれず、大作を依頼されても断っていたという。
文化8年(1811年)7月自宅で没する。
享年60で亡くなった。