大通りの南側の角地にある神社です。
訪問したのは令和6年7月上旬ですので、盗難は昨年の秋でしょうか?大切な地域の神社です。
一時の利己的な欲望を満たす為に荒らされることのないようお祈り致します。
24年5月11日に訪れました。
小さな神社でしたが、室町幕府初代将軍、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したことが名前の由来と伝えられていて、歴史のある神社でした。
安産と幼児の守り神で、特に子どものかんの虫封じのご利益があり、虫八幡とも呼ばれています。
烏丸御池駅から東に向かって歩いている、大通りの南側の角地にある神社です。
今の上皇陛下が結婚さらた際の石碑がありました。
三条の宿から烏丸御池駅に向かって朝の散歩で通りかかったら見つけました。
参拝させていただきました。
こぢんまりの境内ですが、心が満ちいた。
ビルや高層マンションが建ち並ぶ現在となっても、こちらの空間は変わらずに朱の囲いと豊かな緑の植栽(区民の誇りの木クスノキ)に彩られたホッと出来る空気感…いつもは観光客等も足を運ぶことがない静かで誰一人居ない印象でしたが、早朝より市が催される日には活気に満ちていました(準備中でしたが、骨董と新鮮野菜などでしょうか…)
猫に無責任に餌をあげるなとな。
お慈悲がないですね。
神はそうでないでしょう。
人はひと手間にもイラつくってことですね。
猫好きはドン引きです!由緒ある神社が台無し⛩
(2021年11月に参拝)烏丸御池の交差点から東に少し行くと、右手に見えてきます。
お子さんの癇の虫のご祈願は、こちらの八幡宮へどうぞ。
学問の神様 菅原道真公が祀られてます境内には、口腔内の神様もあります珍しい御朱印いただけます折紙で折った栞を御朱印に挟んで頂いてとても重宝してます♪
本殿が西に向いてます。
御所八幡宮 / Gosho Hachimangut足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒がある八幡宮。
尊氏の法名をとって等持寺八幡とか場所から高倉八幡ともいうそうな。
安産と幼児の守り神として有名とのこと。
足利尊氏邸宅内にあった神社だが、戦争の御池通り拡張に伴い現在地に移動したとのこと。
神社は御池通高倉通の北西角にあるが、すぐ近く(御池通を越えて高倉を北に上がる)と、足利尊氏邸宅跡の碑が建っている。
うっかり通り過ぎてしまうほどの大きさの神社ですが、中身は濃いですね。
きっと願い事は成就するでしょう。
御池通りを通るおりに、気になっていたのですが、本日初めて中に入りました。
こじんまりしていますが、歴史が有るようです。
等持寺八幡や高倉八幡とも呼ばれているそうです。
安産や幼児の守神でも有るみたいです。
御所八幡宮は、元々御池堺町の西南角にあったが、太平洋戦争中の強制疎開により当地に移された。
この八幡宮が御所八幡宮と呼ばれる由縁は、足利尊氏の自らの邸宅の守護神に勧請した事によるとのこと。
御池通を挟んで北側に足利尊氏邸宅跡の石碑もあり由縁がよくわかる。
高倉通りと御池通りの角地にある小さな神社。
安産と幼児の守り神として有名。
街中の小さな神社。
境内には区民の誇りの木に認定されているクスノキがあります。
他にイチョウなどもあり街中のオアシス的な場所です。
京都府庁から、二条城に向かい歩いてると、左手にあります。
厄除けの八幡宮、この八幡社を御所八幡宮と呼ぶのは、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒によってであり、尊氏の法名によって等持寺八幡とも、また高倉八幡とも呼ばれて親しまれてきた。
特に安産と幼児の守り神として有名で、三宅八幡とならんで「むし八幡」と呼ばれて世間の信仰を集めている。
中京区高倉通御池東亀甲屋町応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)神の三神を祭神とする。
もと御池堺町西南角御所八幡町にあったが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によってこの地に移転し御所八幡宮社は高倉御池の東南角にあり、決して大きいとは言えないお宮であります。
しかし、かつては境内(けいだい)も広く子供が凧(たこ)揚(あ)げをして遊んだと言います。
その頃を懐かしむ人は、まだ沢山(たくさん)居(お)られます。
更に昔へ遡(さかのぼ)ると、もっと大きくて立派な神社でありました。
そもそも、御所八幡宮はいつ頃から在ったのでしょうか。
何故“八幡宮”なのでしょうか。
又、何故“御所”の名が付くのでしょうか。
そんな素朴な疑問に答えるべく歴史を紐(ひも)解(と)いてみたいと思います。
私達が住まいするこの地域は、平安京時代なら左京三條の三坊(さんぼう)から四(し)坊(ぼう)辺(あた)りになります。
内(だい)裏(り)や里(さと)内裏があって公(く)卿(ぎょう)の邸宅も沢山ありました。
室町時代に到ると武家の邸宅に変わり、政治経済の中心地となって諸(しょ)商(しょう)の賑(にぎ)わいと共に繁栄を極め、栄(えい)華(が)を誇る文化に花が咲きます。
しかし、京都を一変する大きな戦(せん)禍(か)に捲(ま)き込まれます。
徹底的に荒廃した京都は、都市の改造と共に徐々に復興し、町衆や商人が増えて活気溢(あふ)れる商業都市へと生れ変ります。
その後の江戸時代の大火も凌(しの)ぎながら、近代から現代へと発展します。
振り返ってみると名立たる邸宅も寺院も皆、我が街から消え失せてしまった中、御所八幡宮は変わりなくこの地に鎮座しています。
境内は小さくなりましたが、これは稀(き)代(たい)の事と思います。
都会にひっそり歴史ある小さな神社烏丸御池に用事あるときは手を合わせます。
社務所がベルを鳴らさないと開かないので、どんな御守りがあるのか等がわからないのが残念。
足利尊氏公ゆかりの神社です。
本当に小さな神社ですが、なんか不思議な存在感がありますね。
夜の提灯灯りも何か味わい深さを感じる。
小さな神社です。
毎週金曜日はちょっとした市が開かれているようです。
足利尊氏邸・等持寺の鎮守。
御所八幡から御池通りを挟んで高倉通りに入ったところの京都府保険事業共同組合・保事協会館が足利尊氏邸宅で後の等持寺。
昔、家業の染屋の配達の時、此処で良く休憩をして居ました、今もその時の腰を掛けて居た石がありますね^_^
名前 |
御所八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-221-6417 |
住所 |
〒604-8105 京都府京都市中京区亀甲屋町596−596 |
関連サイト |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=168 |
評価 |
3.7 |
2023年2月25日に参拝しました。
街中にある小さな神社ですが、由緒ある神社のようです。