通常サイズの書き置き御朱印、1
新選組ゆかりの寺。
上洛した浪士たちを前にして清河八郎が大演説をぶったとか。
拝観はできないような。
清河八郎って「策士」のイメージがあり、勤皇の志士ながら毀誉褒貶ある人。
あまり人気があるとは言えないが、時代小説作家の藤沢周平が清河八郎を主人公にした小説「回天の門」は同郷の清河八郎を哀切を持って描いていて新選組前史としてもおすすめ。
どこから入って良いのか迷いました(--;)丁寧な対応でしたが、通常サイズの書き置き御朱印、1
住職が先代にそっくりになってきた。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」新徳寺は新撰組にまつわる最初の大舞台となった場所です。
上洛した新撰組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士達を集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂です。
清河 八郎(きよかわ はちろう、文政13年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。
田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。
新徳禅寺(新徳寺)は、浪士組を江戸から京都へ率いてきた清河八郎が、浪士たちを前に演説を行った場所として知られる。
尊皇攘夷の志をもつ出羽国庄内藩出身の清河八郎は、将軍家茂の上洛にさいしこれを警護するための「浪士組」を結成し230名余を率いて京都にのぼった。
京都到着の夜、清河は新徳禅寺に集合した浪士組の面々に対し、「我々が真に為すべきは、(上洛する将軍の警護ではなく)江戸に戻って攘夷運動に身を投ずることである」と述べた。
清河の熱弁にうたれた200名はこれに賛同、翌日清河は朝廷に建白書を提出することに成功した。
浪士組の構成員のうち、清河に反発した芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らは京都に残留し、24名が「浪士組」を結成、のちの新選組の前身となった。
名前 |
新徳寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-811-6569 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
京都三社寺めぐりで知り巡ってみました!新撰組ゆかりの場所だそうです。
※内部は、非公開のため御集印の際に写真を見せてくださいます。
元文4年(1739年)に創建されました。
新春特別御集印→500円両方書き置きのみです。