大抵 お地蔵さん!
京都市内の昔からある町内(町内会や自治会)には、大抵 お地蔵さん!と言って石地蔵を祀って町内の安全を祈願しています。
毎年お盆の時期には、『地蔵盆』と言って テントを張って子供の名前を入れた提灯に灯りを灯し 綺麗にしたお地蔵さんを囲んで、町内みんなで祭りごとの様にして 親睦を図る行事がありますが、それくらい 地蔵菩薩は庶民に1番近い存在なんですね。
いつの世も、皆の安全を願わずにいられませんね。
今小路通の北側にある。
辻斬りに怯えた民衆が祀り始めたらしい、いわゆる身代わり地蔵のようで、首から上の病気などに霊験があるそう。
昔は古い建物で、向かって右の家(居酒屋)の一部でしたが、建て直して独立した様です。
このお地蔵さんは、不思議な地蔵尊です。
「参考迄に」明治元年1868年廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・ ... 神仏分離 令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかっ たが、「結果」として廃仏毀釈運動がそして、石像等を壊しました。
お寺など行くと、首の無いお地蔵さんを見ますね、
このお地蔵さんは、不思議な地蔵尊です。
「参考迄に」明治元年1868年廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・ ... 神仏分離 令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかっ たが、「結果」として廃仏毀釈運動がそして、石像等を壊しました。
お寺など行くと、首の無いお地蔵さんを見ますね、
名前 |
お首地蔵尊 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.3 |
白梅町の交差点を東に一筋目を北へ2、3分歩くと右側に見えてきます 地元でしっかり大切に守られているお地蔵様です由来は江戸時代末期150年ほど前でしょうか、その当時北野村と言われていた寂しい地域に辻斬り ーー刀の試し切りか愉快犯ーーが出て地元の民を震え上がらせたそうです 辻斬りによって落命した人々の菩提と村人の安全を祈願して建立したのがこのお地蔵様ですす 村人は熱心に安全を祈願したそうです そうすると不思議なことに 付近では辻斬り無くなったとか ある時お地蔵さまの首切り落とされいたのを村人が見つけ それでこれはお地蔵様が身代わりになってくれたと思い さらに敬い信仰するようになった それ以降 誰が言うとなく首地蔵を呼ばれるようになったそうです ーー看板に書いてある内容ですーー。