諏訪神社の海老虹梁この神社は延長三年(925)毘沙...
神々しく、綺麗に清掃された神社で、お参りが出来ました。
R2.3.5参拝。
玉村町と新町を繋ぐ岩鼻橋近くに鎮座する神社。
新町7区にある。
神社の起源は延長三(925)年といわれ、現在の社は宝暦四(1754)年に造営されたもので「海老紅梁」に「ブドウとリス」の彫刻があり、桃山時代の遺構として貴重なものである。
境内には「東音頭」の解説板や「河岸町沿革碑」、「正徳の道標」(1712)年などがある。
諏訪神社の海老虹梁この神社は延長三年(925)毘沙吐村(埼玉県上里町)に造られたと伝えられます。
弘化三年(1846)に村を襲った大洪水のため境内及び全村悉く押し流され、村は壊滅状態となり新町の下河原に移り、当社も現在地に移築されたと言われます。
社殿は宝暦年間(1751~1764)に造営され、中央に諏訪社、右に大杉社、左に稲荷社の三社が置かれています。
建築は精巧を極め、特に海老虹梁(エビの様に湾曲した梁)の「ぶどう」と「りす」の彫刻は、桃山様式を窺わせます。
(境内案内板より)拝殿から覗き込むと、ずっと奥に本殿の三社が並んでいることは分かりますが、流石に海老虹梁までは肉眼で確認は難しいです。
拝見できるチャンスを得られた方はかなり幸運だと思います。
境内右側にある社は古峯神社のようです。
笠付庚申塔・道標人体には三種類の虫(三尸)がいて、六十日ごとに来る庚申の夜寝入った人体を抜け出し天帝に日頃の罪業を報告すると言われます。
三尸が登れない様に寝ずに酒盛り飲食をして夜を明かし、治病・長寿を得る庚申待という行事がありました。
この庚申待を記念として建てたのが庚申塔です。
庚申塔の正面には「正徳二年 本ふじの木 奉建立庚申供養 施主村中 辰十月十日」、そして右側面に「従是右本庄宿」、左側面に「これより 左 加し加い道」と刻まれています。
このことから、道標として街道の辻に建てられたことがわかります。
「従是本庄宿」と刻まれていることから、安政七年(1857)まで神流川の東にあった毘沙吐村が、度重なる洪水で新町へ村移りする以前に造立され、村移転の際に当所へ移建されたことを示しています。
(境内案内板より)境内には複数の末社石祠や道祖神石碑、絹笠明神石碑、猿田彦大神石碑があります。
笠付庚申塔は境内右側の古峯神社の更に後方にあるもののようです。
社も境内も綺麗に手入れしてありましたすぐ後ろが烏川で土手にサイクリングロードが整備されていますのでサイクリングがてら寄ってみるのも良いかもしれません境内末社に大杉社、稲荷社と立て札に記載がありますが1つしか分かりませんでした車は境内に駐車できます。
名前 |
川岸町諏訪神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
石の鳥居は風格があります。
拝殿本殿の彫刻も精巧に製作されている。
笠付庚申塔も珍しい。