本日花園城趾に出掛けてきました。
竪堀や石積の遺構が沢山残っており、曲輪も小さいものも含めると数多く存在しているようです。
山城好きの方にはおすすめですね。
登山口には縄張り図が置いてあり頂いて見ながら現在地を確認しながら登ることができました。
私は後期高齢者ですがそれほど大変ではなかったですよ。
ただ、郭名の看板があるともっと良かったと思います。
秩父鉄道の波久礼駅か寄居駅から徒歩30分くらいで登城口の諏訪神社に到着する。
田園の風景を楽しみたいなら波久礼駅からをお勧めする。
諏訪神社の入口には見所と縄張を記載した紙が用意してあり、非常に有難い。
また、右手の机の引き出しには御城印まで用意してあり関係者の方々のご厚意が胸に沁みる。
諏訪神社から程なくして二重竪堀に出る。
10分程度の直登だが、右手には腰郭や石垣もあり興味は尽きない。
竪堀も長く、よくぞここまでと感心する。
直登後はニの郭と三の郭間の大堀切。
右手は三の郭と東の郭。
それを巡る堀切や竪堀など、見所満載だ。
左手はニの郭。
堀切からの登りが急なので滑らないように注意を。
二の郭と本郭間の大堀切は圧巻!なかなかの眺めを楽しみたい。
本郭は展望を望めないが造作が面白い。
恐らく岩盤を削って北側は削り残し、その下を削平して平場としている。
削り残し部分は単なる土塁上としては広いので、櫓などの建物があったのだろうか?城址碑の先から堀切5に降りるが、かなり急斜面。
ロープが張ってあり助かる。
堀切を進むと竪堀があり、南を巡って行けば諏訪神社からの二重竪堀に出る。
この場所は、本郭に直結するため、特に石垣で固められていることから、防御のための丈夫な構造物(門?)があったのかもしれない。
遺構がよく残っていて、個人的には近くの小倉城や青山城よりも大層面白い。
構造的にも見所が多い。
これだけの規模の遺構を整備されている地主さんや関係者の方々には本当に頭が下がる。
本当に有難うございます。
登城口の案内板があり、案内図や城跡の紹介図もありました!神社から登って行きます途中竪堀を登る所が大変でした!トイレや駐車場が無いので路上駐車でした!遺構は良く残っています。
整備がされていないので良く見ないと見落としがちです。
諏訪神社の横の山道から、もはやほとんど藪の中の結構な急傾斜を登った果てに石塔が建っている。
堀切や石積みの遺構らしきものはあるものの、もうほとんどわからない。
登る時は比較的目立つように木々に吊るされた蛍光ピンク色の目印に沿って行かないと確実に遭難する。
そして、なんと猪🐗家族にも遭遇。
気をつけた方がいい。
諏訪神社の東にある稲荷社の脇から登城路が細いながらもあり、暫く行くと頭上に竪堀の下端が見えて来ました。
登城路が西へと続いているのでさらに進むと、竪堀に突き当り、ここからよじ登ることにしました。
暫く登ると右手に竪堀が見え、さらにその東に横堀があります。
この横堀の東面と北面には石積みが見え、板の様な薄い石が積み重なっています。
主郭は東西に長く結構広い曲輪で、ここは整備されて歩き易いですが、その他の曲輪や登城路は整備されていないので、誰でも登城できる雰囲気ではありません。
竪堀と横堀がこれ程見事に残り、組合せの妙も見られるこの城は、鉢形城より貴重ではないかと思える位ですが、余り話題にならないのは、登城路が整備されていないのと、曲輪も整備されていない事によるのでしょう。
それでも絶対に見学する価値の高い城址です。
駐車場から主郭まで40分。
(2011年登城)
遺構の残存状態が素晴らしい。
実戦の歴史も有り、見るべき城跡の一つと思う。
埼玉県寄居町にある、日本百名城の鉢形城の支城、花園城。
この城は武蔵七党猪俣党の一族で関東管領上杉氏の重臣であった藤田氏の居城で、当主泰邦が没した際に後継者問題から北条氏康の四男、氏邦が入り婿として入り、鉢形城へ移るまでの間、藤田家の本城として使われ、支城となった後も小田原攻めで鉢形城が落ちるまで430年に渡り使われた城です。
鉢形城より一回り小さい印象ですが、個人所有の土地であることからか、下草刈りや案内板の整備などが殆どされておらず、軽い薮漕ぎしながらの見学でした。
犬走りを歩き回って色々見ようとしましたが、落ち葉が滑ってかなり危うく、行きも帰りも誰にも会わないような山城なので、もし怪我でもしたら何日か放っておかれそうな雰囲気なので断念。
それでも、曲輪や竪堀、堀切等は残っていて、整備すれば面白い山城であろうと思います。
駐車場はないので、路肩に駐めるように説明板にかいてあります。
秩父鉄道の波久礼駅から歩いて30分ほどで登城口となる諏訪神社に到着します。
そこから20分ほどかけて登ると城跡に到着します。
本丸跡には城址碑が建ってました。
Map上では北にズレていますが、山頂に設定されている本曲輪石碑周辺が城域となります。
また登城に際しては南にある諏訪神社後方から適当な竪堀を見付けて登って行くのが手っ取り早いです。
竪堀から登って行くと、やがて竪堀と交わる横堀やそれらで仕切られたいくつもの小曲輪が見られるかも知れません。
山城としての規模は大きくありませんが、縄張りが複雑で全貌を把握するのは難しい様に思われます。
また冬場は山肌が枯れ葉で覆われ滑りやすくなっていますので、注意が必要です。
自分自身も滑って負傷し途中で文字通り泣く泣く下山する羽目になりました。
ただ竪堀や堀切などの遺構は見応えありますので、訪れる価値はあると言えます。
武蔵七党猪俣党の流れを汲む藤田氏によって築かれたとされ、戦国時代に婿養子として家督を継いだ北条氏邦が鉢形城に入るまでは本拠として用いられていた様で、その後小田原の役が起こるまで鉢形城の支城として用いられた様です。
花園城は面白いお城です。
山城好きにはたまりません‼️何度も登城していますが、全容が掴めません。
このGoogleマップの登録地点だと登山口みたいだけど実際は小さな地元企業の工場や敷地ぽい…?(車を停める場所も無さげ)自分は見付けたブログを信じて南麓の諏訪神社側から登ることに🚶神社右脇に極小の案内板以外は案内図も順路も無く、途中から登山道かも分かりにくい斜面を登る事10~15分で山頂に到着🏁中盤は急斜面u00262月でも分厚い落ち葉の絨毯でとても滑り易い。
(下山時に3回ほど足元を掬われた…)山頂も石碑の他は何もなく周辺も木々で遮られ、竪堀の切れ目が北に拓けており先程の工場が垣間見えるのみ。
奥が深い…のか!?←自分はもう結構です。
山内上杉氏の重臣 藤田氏の居城とされます。
北条氏邦が鉢形城に本拠を移してからは支城となりました。
圧巻なのは岩盤を削った堀切&切岸そして長大な堅堀階段状の腰曲輪 石積など430年前の息吹を感じ取れます。
寄居林業行こうとして道に迷ったらここにいた。
立派な竪堀が堀切に連続。
なかなかのから堀でしたが、本郭に石碑があるだけで、他郭に案内なく、迷子になりそうでした。
帰り道を探すのはとても苦労!また落ち葉で中腹が埋まっているので滑ります。
本日花園城趾に出掛けてきました。
縄張りが複雑すぎて理解できませんでした。
ただ岩盤を削って深い堀切をつくる等手のこんだ作りです。
後三回程行ってみたいと考えています。
資料によると、歴史的に不明な点の多い城ですが、この地方を支配した天神山城の藤田氏の属城であり、北条氏邦を養子として迎え、本拠を鉢形城に移してからは、鉢形城の支城になったものと思われます。
位置的には鉢形城の対岸正面奥にあたり、川を挟んで対陣しようとする敵に対しては背後を脅かす形になります。
一説によると、氏邦に家督を譲った(譲らされた)藤田氏の隠居城だったともいわれます。
とあります。
城跡への登山口には、藤田氏の鎮守、諏訪神社があります。
色々下調べして行った。
笹藪が酷いという話であったが、冬なこともあり思っていたほどではなかった。
大量の落ち葉で滑るのはご愛嬌である。
嵐山の博物館発行の「比企の中世・再発見」に縄張り図は載っているので参考にされたし。
ただし、点線の登城道が間違っていて、二重竪堀のところに直登するように整備?されている。
マーキングも付いているので、変なところに行かない限り迷わない。
実は他の城跡に行こうとしたが、時間の関係で花園城跡を攻城した。
先ず入り口が良く分からない。
南側の麓に神社があったので裏手に回ってみると道筋がついていた。
上っていくと竪堀があり、その後、小さな郭が次々現れる。
山頂までのぼると一の郭があり花園城跡の石碑が立っている。
一の郭には段がついていた。
一の郭と二の郭の間の堀切は見事で3メートルくらいの深さがある。
二の郭まで確認したが、東側に三の郭と四の郭があるらしい。
帰りは一の郭から小さな郭を辿って降りたが、道らしい道もなく微かな跡を辿ると西側に面した道路に出た。
石垣や堀切など見所は多いが、なんともアクセスし辛い。
名前 |
花園城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.town.yorii.saitama.jp/site/rekishikan/hanazonojyouato.html |
評価 |
4.2 |
藤田氏の居城で竪堀や横堀を組み合わせた作りが同じ藤田氏の近隣の千馬城に似ている登口に詳しい縄張り図があり非常に助かった神社裏の竪堀を登ることで本丸に到達するが誤って左側の竪堀から登ろうとして滑り落ちそうになったりいらない苦労をしてしまった沢山の竪堀と岩盤を掘り切った跡が特徴的だった。