近所のおじさんによく連れてきて貰った。
横穴式石室がむき出しであり、凄い迫力でした。
山畑古墳群は、東大阪市内最大の群集墳で、昔の農民等の農地開墾や近代の宅地開発により破壊された古墳数も数えると70基程度確認されております。
未確認の古墳を含めますと100基以上の古墳群であったのではないかと考えられています。
古墳群は、6世紀後半から7世紀始めにかけて築造され、横穴式石室をもった直径10m~15m前後の円墳がほとんどをしめております。
古墳群の中には、瓢箪形をした双円墳や方墳のほか、上円下方墳と呼ばれる全国的にも珍しい形の古墳も含まれています。
また、多くの古墳の石室内から、副葬品として納められた馬具類が発見された特徴ある古墳群でもあります。
当時重要な役目をはたした騎馬を飼育していた馬飼部をひきいる百済系の渡来氏族・河内首一族の築いた古墳群とも考えられています。
山畑22号墳に行きました。
6世紀後半の双円墳です。
西墳丘のみ現存しており、片袖式の横穴式石室が残ってます。
東大阪市郷土博物館の駐車場前にあり、床面には石敷きが!
昔ここには当時としては大きな街灯があり、夏の夜にになるとカブトムシやクワガタが飛んでくるので、近所のおじさんによく連れてきて貰った。
大きな水槽もあったのでそこにタガメも飛んできていた。
ここって博物館が休館してたら見れない感じですかねこの前の風雨かで木がなぎ倒されています。
2017-10-01双墳に見えませんでした。
築造時期は6世紀の後半から7世紀。
まずは郷土博物館で山畑古墳群のことを調べて、場所なども確認してから回るのがお勧め。
以下、大阪府Webページより。
「この古墳群は瓢箪山(ひょうたんやま)駅の東側の山麓(さんろく)部にある、東大阪市立郷土博物館周辺に分布している。
今でも20基ほどが残されているそうだが、これまでに行われた開墾(かいこん)や宅地開発によって取り除かれた古墳も含めると、実際には100基以上の集まる古墳群だったとされている。
古墳群は6世紀の後半から7世紀はじめにかけて造られ、ほとんどは横穴式石室を持った円墳だが、中には瓢箪形(ひょうたんがた)をした双円墳や方墳も見ることができる。
」
古墳時代後期の群集墳のひとつで100基近くあったが、今は30基位しか残っていないという。
そのうえ、墳丘も無くなっているのが多数ある。
私が興味を持ったのは山畑12号墳。
小さな丘の裏にひっそり隠れている。
古墳に興味ある方は、一度すべて探検してみてはいかがだろうか?
名前 |
山畑22号墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
車で行くのは勇気いる道のり急なカーブや坂道が急で逃げ道少ない一本道です。
ここ駐車場?という感じの駐車場珍しい遺跡が無料でみれるのは貴重です。
自然がいっぱいで森林浴できますよ。