小さな公園に大きな石碑!
伴林光平の碑(教恩寺跡) / / / .
小さな公園に大きな石碑!伴林光平が如何なる人物か🙄裏に回って説明碑写すつもりでしたが!雨にねれた手ではスマホも作動しません😅又の日たずねます🤠
教恩寺跡に同寺の住職だった伴林光平の碑がある。
数ある石碑のなかでも印象的なもののひとつだ。
石碑の裏に供林光平君碑、大正三年十一月と寄進者の熱い思いが刻まれている。
供林は単なる国学者、歌人、勤王志士だけではなかった。
「野山のなげき」に見られるように、盗掘で荒らされ、荒涼とした幕末の御陵や古墳を彼は見た。
あるときは僧侶たちの盗掘団を追い返している。
その供林も天誅組の乱で花と散った。
幕末に活躍した国学者であり、現在の藤井寺市のお寺の生まれ、京都、奈良等で仏教を治め、国学を学ぶ為全国各地を転々として、1845年頃八尾市の此の地の教恩寺の住職となり、地元の人々に学んだ和歌等を教えていたそうです、1861年頃に起き出した尊王攘夷運動に国学者、伴林光平もこれに同調して、住み慣れた教恩寺を去り討幕運動の大和、天誅組に記録係として参加しますが、しかし彼等の計画は失敗に終わり、逃げる途中に捕まり翌年京都で処刑されます。
八尾市に有る大きな石碑は教恩寺跡地に建っています。
名前 |
伴林光平の碑(教恩寺跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
成法寺会館横のコンパクトな公園内にも関わらず、伴林光平の大きな石碑が立っています。
ほぼ公園の一部になっていて子供が登ることも可能です。