河内木綿や肥料などを積んだ柏原舟が行き交っていた。
柏原舟ふなだまり跡地 / / .
江戸時代、柏原村はたびたびの大和川の氾濫で田畑は荒廃、荒地になったという。
この柏原村の苦難を救うため考えられたのが、大阪へ米などを運ぶ船運事業だ。
小舟で大阪まで物資を運ぶ柏原船、今で言うボート🚣♂️のようなものだ。
その船着場となったのがこの辺り。
イマジネーション豊かな人であれば、当時の最盛期の舟だまりを想像することができる。
江戸時代になった頃、平野川を柏原市から八尾市を経て、難波宮など当時の大坂の都へと、河内木綿や肥料などを積んだ柏原舟が行き交っていた。
柏原市で柏原舟を営業していたのが、建物が文化財となっている住宅の三田家や寺田家である。
柏原舟ふなだまり跡地の石碑に書かれていること。
『大和川の洪水で度々大被害を受けた柏原村を救うため、1636年から柏原舟(大坂への船運事業)が始められた。
4年後には70隻にまで増え、明治になって鉄道が開通するまで大いに栄えた。
ここは、かつての舟溜りの跡地である。
』
名前 |
柏原舟ふなだまり跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.5 |
公園を含めたスペースが船溜まりを感じさせる。