明治三老農の一人「中村直三」の功績碑。
中村直三の顕彰碑です。
最近はここの交差点は地下道になりかっての地上の角に、万葉歌碑が在りその後ろ(東大寺側に)に中村直三の碑とその説明を書いた板製の説明版がある。
この説明版は読めるんだけど最近の石や金属製のものではないのでいずれ板の字は消えるだろう(まあ行政も古い板製や消えかかった説明碑を新しくしてるんで予算がついて立派な説明碑になるだろう、本体は古いほうが歴史を感じて私は古いままでいいと思うが)場所が県庁東の交通量の多いとこだし、地下道がメインになって万葉歌碑や直三顕彰碑の存在すら気が付かない人がほとんどだろう。
以下は WIKIからの引用です。
「中村直三中村 直三(なかむら なおぞう、文政2年3月8日(1819年4月2日) - 明治15年(1882年)8月13日)は、奈良県出身の老農(篤農家)・農業指導者。
群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。
また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。
」
奈良県庁東交差点に万葉歌碑が建っている(中村直三農功之碑の前)。
見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも 万葉集 巻10 1872 作者未詳。
万葉仮名による表記。
明治三老農の一人「中村直三」の功績碑。
日本農業の生産性向上の為に尽くした中村直三(なおぞう)の功績を讃える石碑です。
名前 |
中村直三農功之碑 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
中村直三とは誰、というのが無知な私の最初の感想。
一緒に見た人がたまたま農学部出身で、その人が石碑の前で朗読、解説してくれた。
要するに幕末から明治にかけて品種改良など日本の農業のために貢献した人。
石碑も彼の貢献度合いに比例し立派である。