神武天皇の碑の道はほとんど人通りがありませんでした...
神武天皇聖蹟狹井河之上顕彰碑 / / .
偶然見つけてあっと驚く大きな石碑。
神武天皇がここ迄やってきて、三輪一族の王と出会った所なのかな。
観光地三輪とはまったく別の世界があります。
石碑の背後に見える三輪山の姿が素晴らしい。
この顕彰碑の東の三叉路に、神武天皇がよまれた詠まれた歌の日があります。
山の辺の道からというと、一段上がっているので探しづらいかもしれません。
葦原の繁こき小家に 菅畳いや清(さや)敷きて 我が二人寝し(古事記 中巻)葦の繁った小屋に、菅の蓆(むしろ)をすっかり清め敷き詰めて、おまえと二人寝たことよ。
伊須気余理比売を宮に召したとき、狭井川のほとりの比売の家で一夜を過ごした日を思い出して詠まれたということです。
顕彰碑だけではなく、最も愛した女性と過ごした日々がこの地に刻まれています。
(歌碑撮影日:2010.7.19)
最近は、手入れが悪くて少々荒れてます。
よく似た石碑が奈良、大阪にあります。
観光客はほとんどいないので ゆっくりと見学ができるが 車で行くときは 道が狭いので 要注意。
記紀(古事記、日本書紀)に残る初代天皇神武天皇が宮崎から奈良の地を征服するまでの東征の場所が各地に顕彰碑が建てられています。
山の辺の道沿いにあるのですが、やや離れているので興味がなければ見逃しそうな感じです。
ちょうどカフェ「花もり」さんの南側の道を10mほど西へ行きます。
碑の裏面には「神武天皇 伊須気余理比賣命(いすけよりひめのみこと)の御家ありし狭井河之上に行幸あらせられたり聖蹟は此の地付近なりと推せらる」。
とある。
神武天皇の皇后は三嶋(大阪府三島郡)の溝咋(ミゾクヒ)の娘・比賣多多良伊須氣余理比賣(ヒメタタライスケヨリヒメ)、別名富登多多良伊須須岐比賣(ホトタタライススキヒメ)、『日本書紀』では媛蹈鞴五十鈴媛命である。
『古事記』によると、《是(ここ)に其(そ)の伊須氣余理比賣命の家、狭井河の上に在りき。
(神武)天皇、其の伊須氣余理比賣の許(もと)に幸行(い)でまして、一宿御寝(ひとよみね)し坐(ま)しき》とある。
名前 |
神武天皇聖蹟狹井河之上顕彰碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
大神神社と檜原とをむすぶ山の辺の道には人通りがありますが、神武天皇の碑の道はほとんど人通りがありませんでした。