2024年3月17日です。
学問の神様である菅原道真を祀る神社。
日本の三大天神と呼ばれています。
境内には巨大な銀杏があり、銀杏が神様の贈り物として渡されることもあるようです。
創建は1104年。
宮司さんは鶴岡八幡宮と兼任されているとのこと。
本殿は国の重要文化財に指定されています。
境内はそれほど広くはありませんが静かでとても気持ち良いです。
また、周りの裏道も雰囲気の良い道が多いので散策にも向いています。
参拝は無料、駐車場もあります。
荏柄天神社は、菅原道真公を祀る三天神社の一つ第二鳥居が松で囲われていてかっこいいです。
天然記念物の木がとても太く大きく素晴らしい。
絵筆塚という変わった像がありました。
境内に熊野権現社がありますが、進むと洞穴があり「やぐら」と呼ばれるものです。
やぐらは、鎌倉およびその周辺で鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて作られ、または使用された横穴式の納骨窟または供養堂です荏柄天神社では合祀した熊野神社として使っているそうです。
少し怖いというか、結構雰囲気があります。
鎌倉駅から離れた場所なので、静寂で神聖な雰囲気です。
合格祈願は、いつもこちらへ。
成就した御礼詣りも忘れずに行きます。
梅酒を100円で振る舞っていたので堪能。
ちゃんと梅の文様。
一本での販売もしていたから買って帰れば良かったかも。
道真公のお力分けていただけそうな。
梅、ミツマタの花、イチョウ、紅葉、いつの季節でも美しい。
荏柄天神社〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂74訪問日は、2024年3月17日です。
福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ、日本三天神の一つということで、厳かな雰囲気のある天神さまだと思いました。
境内にあった3枚の案内板を文字起こししておきます。
尾崎迷堂句碑の案内板は、読み取れない部分もありました。
荏柄天神社(えがらてんじんじや)●祭神 菅原道真●創建 長治元年(1104)古くは荏柄山天満宮とも称し、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と並び、日本三天神の一つに数えられて来ました。
平安時代中頃、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い、そこに神社を建てて祀ったのが始まりとされます。
源頼朝が大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に幕府を開くと、その鬼門を守護する神社として崇められました。
境内は国の史跡、本殿は国の重要文化財に指定されています。
境内のイチョウの黄葉Autumn colors of a ginkgo tree within the shrine's grounds.Once known as Egara-san Tenmangu Shrine, this place is counted as one of Japan's three great Tenjin Shrines, along with Fukuoka's Dazaifu Tenmangu Shrine and Kyoto's Kitano Tenmangu Shrine.It is said that around the middle of the Heian Period (A.D.12th), a depic- tion of Tenjin fell to earth during a thunderstorm. This was revered by the local villagers and from that time that the shrine was built and wor- ship began.When Minamoto Yoritomo established the Shogunate in Okura (around the current location of Yukinoshita 3) the shrine was wor- shipped as the protector of the so-called Kimon, unlucky northeasterly direction.The grounds of the shrine are a Registered National Historical Site, and the main shrine has been designated as a National Important Cultural Property.●ご祈祷のご案内◎昇殿祈祷荏柄天神社では皆様の合格祈願・就職成就・厄除け・家内安全・初宮詣・七五三などのご祈祷を随時執り行っております。
祝詞奏上、神鈴神事、玉串拝礼の後、お礼とともに、御神前にお供えした次の撤下品をお渡し致します。
一、御守り一、御神酒一、御供物(梅干・銀杏など)一、合格祈願の鉛筆(合格祈願の場合)初穂料 一件 五、〇〇〇円より◎受験当日早朝祈祷神職が皆様に代わって、大切な試験の当日の朝に合格を祈願する特別祈祷です。
ご記入いただいた申込用紙は、ご祈祷の後、御神前にお供え致します。
前日までにお申し込み下さい。
初穂料 一件、〇〇〇円より文学案内板尾崎迷堂句碑荏柄天満天神献詠右大臣源実朝の忌なりけり大慈咲き大悲さきたるさくらかな尾崎迷堂(明治二四一昭和四五 1891-1970)僧侶で本名を光三郎、法名を暢光という。
山口市に生まれ、僧の修業をした後、寺の住職を勤めるかたわら、俳句の道に精進した、特に鎌倉二階堂の杉本寺住職と、大磯の慶覚院住職の時代がよく知られている。
俳句は、高浜虚子が選者を担当した「国民新聞」の投句から始まり、大正四年(一九一五)に松根東洋城が創刊した「渋柿」の同人となり、その後「あら野」を経て、昭和一一年(一九三六)に「えがら」を創刊して活動し、最後は「ぬなは」を拠点として活躍した。
その作風は、高雅繊細で、しかも気魂を持っていたといわれる。
迷堂は、大正一四年から昭和一七年まで、杉本寺の住職として土地の人々と俳句を通して交流を深め、昭和四五年三月に住職としていた大磯の慶覚院で亡くなった。
句集には「孤輪」(昭和一六年)「雨滴」(同二六年)「芙渠(ふきよ)」(同四一年)などがある「雨滴」の中から、鎌倉に関する句を抄出する。
歳旦 初鶏や谷合奥の十二所春 英勝寺一句尼寺のチューリップなど長開かな春 荏柄天神社一句古ルの絵は磴すぐ下の春田かな春 八幡宮実朝忌句会実朝忌ここもと山の松寒し、平成三年三月鎌倉市教育委員会鎌倉文学館。
鎌倉駅前で20番のバスで。
天神前バス停で降りてすぐ。
友人の合格祈願にお参りしました。
静かで落ち着いた場所にあります。
こんなに有名な天神様とは知りませんでしたので、きっとご利益があることでしょう。
鎌倉の学問の神様。
普段は人もまばらですが受験シーズンは多くの人で混雑しています。
毎年受験生の為に合格祈願の鉛筆を頂きに行く息子について行きます。
梅やロウバイ、コウゾ、しゃが、季節のお花も綺麗です。
4時半には閉まるのでご注意下さい。
入り口のお菓子二階堂も必ず寄ります。
祭神は菅原道真福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ日本三天神の一つです。
何度か行ったことがあるが、一番思い出に残っているのは大学1年の秋の午後にサークルの取材で皆で訪れたこと。
あの時のことは未だに大切な思い出です!!
京都北野天満宮、北九州大宰府と並ぶ日本三天満宮の一社鎌倉宮、鶴岡八幡宮、杉本寺、八雲神社等がわりと近くにあり廻りやすい場所に鎮座してます。
荏柄天神社の石碑には、「社前の松並木を古来馬場と称す」と刻まれている。
たくさんの梅の木が植えられた参道は、かつては「馬場」として使用されていた。
源頼朝によって「馬くらべ」が催されたことにちなんで、昭和の初めには、流鏑馬が行われていたという。
参道の入口に古い石碑がある。
木の間をくぐり抜け神社に向かうという、何とも言えない神秘的な雰囲気。
荏柄天神碑説明古い辞書である「和名鈔」 に「柄草」という地名があ ります。
現在はありません がこの神社付近の昔の名前 のようです。
草の字はカヤ と読め、エカヤがエガヤに なり、後に文字を今のように当てたものと推測されま す。
神社の前の松並木を昔は馬場といいました。
この社(やしろ)には菅原道真(す がわらみちざね)が祭ってありますが、建てられた年代 はわかりません。
源頼朝が 初めて幕府を建設する時、 この社が鬼門(きもん:東北) に当たるように選んでいます。
それ以降の歴代将軍も この神社を大切に保護しました。
1548年に北条氏康(う じやす)は社の前に関所を設 け、通行税を取り、神社修 復の費用に当てました。
江戸時代には、鶴岡八幡宮の工事ある毎に余った木材等 を使用して、この社の修造を行うのが例になっていたということです。
近くのコインパーキングは平日昼間でも満車あるいは狭くて駐めにくい。
鎌倉宮の駐車場が近くて駐めやすい。
1時間450円です。
お参りしてきました。
鎌倉駅からバスで天神に行くならば4番乗り場から鎌20系統「大塔宮行き」バスに乗車し8分で「天神前バス停」下車、1分歩いて到着できます。
途中大きなビャクシンの木が参道に覆い被さっている赤い鳥居の手前左手に「荏柄天神」碑はあります。
ここからは天神社の大階段が見えています。
神社の前の松並木を昔は馬場といいました。
名前 |
荏柄天神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-25-1772 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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鎌倉散策で参拝。
鎌倉宮と鶴岡八幡宮の間にあり、分かりやすかったです。
書置きの御朱印を頂きました。