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名前 |
山口藩殉難諸士招魂之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
元治元年(1864)7月 18日「蛤御門の変」が起こり、敗戦した長州藩兵 宍戸久之進ら62名 の兵士たちは、伏見から舟で淀川を下つてきます。
大坂の桜宮付近で高松藩に捕えられ、千 日前刑場の獄舎へ投獄されました。
ここでは幕府による極めて残酷な扱いを受けたようです。
半年以内に刑死者6名 、牢死者39名を数え、一説には一人ずつ毒殺したともいわれています。
ここで亡くなつた45名 の死骸は、大猫同様無造作に、刑場片隅に埋められたそうです。
明治期に入り、賊として扱われたこの長州兵士らは、勤王の志士として評価されます。
明治2年(1869)夏 、夕陽丘にある大江神社一角に招魂社を建て慰霊口顕彰を行いました。
同じく蛤御門の変で敗走中、尼崎で捕えられ 、自刃した山本文之進と薩摩藩御用船を焼き討ちした事件で、大坂南御堂前で切腹した水井精一、山本誠一郎の3名と千日前でなくなつた45名 で、計48名 が祀られました。
その後、千日前で眠つていた45名 の遺骨を掘り起こし、前記3名とともに阿倍野墓地に改葬されました。
この「嘗山口藩殉難諸士招魂之碑」は、明治23年 (1890)11月 に建立され、裏面に48名の名が5段にわたり記載されています。