丁寧な説明書きがあります。
徳川時代対馬宗氏屋敷跡 桂小五郎寓居跡 / / .
■徳川時代対馬宗氏屋敷跡 桂小五郎寓居跡京都高瀬川の川辺りにある石柱。高さ1m程の石柱。2016年12月建立。案内標札も在る。
桂小五郎の…ふーん⁉
対馬宗氏の屋敷跡。
潜伏場所が独立領主の屋敷とは、秩序破壊も甚だしい。
丁寧な説明書きがあります。
民家の前にありなかなか石碑が見辛かったです。
池田屋事件では、桂小五郎は屋根を伝ってここに逃げ込んだ。
名前 |
徳川時代対馬宗氏屋敷跡 桂小五郎寓居跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na177.html |
評価 |
3.6 |
中京区木屋町通三条上る西入(姉小路橋西詰)にあるのが「徳川時代対馬宗氏屋敷跡 桂小五郎寓居跡」石碑と解説板になります。
対馬藩(つしまはん)は、江戸時代に長崎県対馬と佐賀県の一部を治めていた藩で、中世から近世にかけて宗氏(そうし)が対馬を治めていた。
江戸時代初期にここに屋敷が建てられたとされる。
幕末には対馬藩家臣・大島友之允(おおしま とものじょう)が長州藩士・桂小五郎(後の木戸孝允)と親交を深め、桂の寓居のひとつになります。