金剛山の歌を詠んだとのことである。
明治の詩人 薄田泣菫 顕彰碑明治後期の浪漫派詩人。
随筆家。
本名淳介。
倉敷生まれ。
一八七七〜一九四五。
心斎橋の金尾分淵堂の文芸誌「小天地」の編集長となり大阪毎日新聞社に入社。
明治三十四年頃、当山に寓居し有名な「金剛山の歌」を詠む。
時に当山二十二世日遵上人代て詩集「白玉姫」(消息)には、日蓮大聖人御書「報恩抄」についての問答が記されている。
泣菫は、与謝野鉄幹・晶子や志賀直哉とも親交があり、同時期、朝日新聞には夏目漱石がいた。
後年は、芥川龍之介を社員に招聘し作品発表の機会を与えた。
著書に暮笛集、白玉姫、白羊宮、随筆に茶話等がある。
毎日新聞社社歌、二代目選抜高校野球大会歌も泣菫作詞である。
名前 |
薄田泣菫 顕彰碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
明治34年頃ここ本長寺に寓居し、金剛山の歌を詠んだとのことである。